改装前の赤れんが庁舎

改装工事中です。令和7年度までかかりそうです。
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巨大なクレーン。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
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 2021年の東京オリンピックのマラソン会場になって、1年間工事が延長されたので、再公開まではまだまだかかりそうですね。工事を見ていると実際の大きさ以上のボリューム感に驚かされてしまいます。北海道観光のお客様には大変恐縮ですが、逆にこれほどの工事現場を記念に撮影できるのは貴重な記録になるのかもしれません。いっそのこと、工事内部現場見学会もやると面白いかもしれません。あまり不謹慎な事ばかり言っていると、益々工事が遅延してしまいますね。スイマセン。新たに出来上がる赤れんが庁舎が昭和43年以来の再構築でどれほどの感動を与えてくれるのか大変楽しみですね。

 明治19年北海道は開拓使、三県時代を経て、北海道庁によってふたたび統一行政体となります。明治21年この建物は完成します。
当時は多くの市民や道民がその完成に歓喜して見学に訪れました。まさに開拓に心血を注ぐ開拓道民の心の支えとなったと思います。
 2階の中央にあった北海道庁長官執務室は創建当時を維持しており、その為、内装は結露や、雨漏れで大変傷んでいましたが、まさに雰囲気は当時のありのままです。大事にすべき空間でしたね。

 50年ほど前までは普通に使われていました。他の部屋も最近まで会議室として使われていて、観光客と道庁職員が廊下を往来するのが普通の風景でした。この建物は一度大きな大火にあい、外側の赤れんが部分を残し、床や屋根、内部を喪失しています。この右側中断の三連アーチも鉄製の為、創建時のものとも言われています。明治42年の火災時は厳寒の1月夕刻6時過ぎで気温が-20℃だったと言われて、前にあった防火用水となるべく池の水は凍り付き6時間以上燃え続けたようです。その後明治43年に再建され、さらに昭和43年開道100年を記念し、創建時の姿を取り戻しました。

設計したのは、北海道庁技師の平井晴二郎です。文部省第1回留学生としてアメリカ・レンセラー工科大学に4年間学びのちに帝国鉄道庁総裁となり東京駅を設計した辰野金吾にも影響を及ぼしたかもしれません。東京駅の赤れんが、北海道産が一部使われています。
旧長官、知事執務室
明治42年の全焼の際
残ったと言われている三連アーチ
冬用の折戸形式の内窓が収納できます。
当時の北海道の原生林のタモ材の瘤からとれる年輪。今ではこれほどのものは無い。
北海道の名付け親である松浦武四郎が1859年に完成させた「東西蝦夷山川地理取調図」。26枚の切図を合わせて、北海道全体を表している。河川、湖沼、山脈、集落などが記入されている。
明治の大工さんの心意気その芸術性に感動します。どこの建物でも見られる細工。
開拓の村にある開拓使庁舎の外観
中は再建はしていません。
この赤れんがの真横に建っていました
初代道庁長官
土佐出身 岩村通俊

赤れんがが完成した明治21年
の冬には2代目の長官は
永山武四郎でした。残念!
岩村とは犬猿
薩摩出身 黒田清隆第二代総理

 開拓使時代の1872年(明治5年)1月、岩村は自ら陣頭に立ち札幌府建設を推し進めた。島判官の大構想を緻密な作業計画と兵站計画で次々に実現させ、6月には札幌を正式に北海道の首都とすることが公認された。当時は箱館や近傍では小樽石狩の方が栄えていました。人工都市である札幌首都の特徴としては、整然とした市街区画、東西南北に配置された広大な公園、札幌神社の遷宮、学校の建設、運河の開墾等があり、遊郭の設置も行われている。島判官の構想が岩村副長官により見事に実現したのだ。岩村は北海道に4年間余り勤務したが、開拓次官の黒田清隆と意見が合わなくなり、免官となった。まず石狩地域からの開発こそが先で内陸どころではないとする黒田清隆開拓使次官と衝突し、明治6年、岩村通俊は開拓使から追いやられてしまう事になります。皮肉な事にこの時黒田清隆の下で札幌の屯田兵村を推進していたのが永山武四郎でした。黒田清隆は開拓使時代の一度のみならず二度までも岩村通俊を閑職へと追いやり、同じ薩摩藩出身で共に屯田兵制を推進した永山武四郎を屯田司令官兼任の2代目長官に任命します。

ある意味、ショッキングな展示ですが、事実でした。

さっぽろ文庫 26 『明治の話』

道庁の火事と洪水と石版所      本間喜佐代さんのお話より

 一部抜粋して紹介させていただきます。

子供のような声で「火事だ、火事だよー」という声が聞こえました。なんだろう、子供のいたずらかしらとちょっと外をのぞいて見たら、その時が二階の窓から、ゴオーッと火が吹き出した時で……。その当時あった火の見櫓の半鐘が、ジャンジャンジャンという音から、火が大きい時にたたく、摺り半鐘に変わって、もう恐ろしくて恐ろしくて、ぶるぶるふるえておりました。 それに屋根は、火の粉が散ったらすぐ火がつく柾屋根でしょう。火が移ったら困ると家の屋根に、味噌を塗りつけるやら、父は焼け焦げて煙でいぶっているような書類やら地図を運んでくるで、大変なさわぎでした。 母の方は、炊き出しをしなければならないとかで、ごはんを炊いておにぎりを作りはじめましたが、うそでもありません、下に落ちたおにぎりが凍ってしまうようなひどい寒さでした。なかなか火が消えないので、最後には道庁の池の氷を割って水をかけたくらいの火でした。 当時の消防といったって、そこで火が燃えているのに、整列して、一、二、三と号令を掛けて人数を確かめ、それから駈け出していくようなもんですから、あんなんでは火事も大きくなってしまいますよ。水をかけるのも手押しポンプで、ガッタン、ガッタンとやるんですからねえ。」

 以上の様なお話ですが、明治42年1月の札幌、職員退庁後の午後6時過ぎで気温が-20℃って記載があったのですが、昔の札幌は戦後の時期まで相当に寒かったようです。現在は温暖化が進んでいますが、自分の子供頃は実際にまつげが凍ってしまう事もありましたよ。赤れんが庁舎の前には今でも、鴨たちが遊んでいる池が2ヶ所ありますが、昔はこの様な公共建築物には景観用を兼ねて、防火用水としての池が多く設置されていました。もちろん、当該事件時の池は寒さでコチコチに凍り付き消火設備も十分でないため、6時間以上も燃え続け、屋根も床も燃え尽き、外壁のれんがを残しほぼ全焼だったそうです。

 明治43年現在の赤れんが庁舎の再建時の内部が残っていますが、外観は昭和43年「開道100年記念事業」として、創建時の外観を復元したものになり、その威容は大判官岩村通俊の描いたものとなりました。

 しかし、これは設計者平井晴二朗の外観設計ではなく、それ以前に岩村が判官時代を過ごした明治6年に焼失した開拓使庁舎への思い入れにより、平井が工事中に現認を離れた時に急遽、変更が行われたらしいと言われています。上部の八角堂のれんが造の大荷重が屋根の小屋組みに大きな変形を起こし、しばらくして、原設計の屋根に戻すことになり、何の変哲もない役場庁舎となりました。その時の費用の加算により、内部に設置されるべき防火戸(明治43年復活)を省いたことが大きな消失になったことは否めない事実でありました。

この大型の鉄製防火戸が……
初期はガス灯だったそうです

明治43年竣工の再建工事に於いては天井材を装飾メタルをオーストリアにオーダーメードしたと訊いています。しかもすべての部屋廊下のデザインが違う事や、当時プレス機は無く全て職人の手打ち作業によるもので、間近に見れば、それは明らかに解るもので、驚くべき遺産であることは間違いありません。明治という国家はいかに世界を見ていたかを知るだけで、現代とのスケール感の違いに圧倒されてしまいます。

数年後、耐震改修が行われ、内部のリニューアルが楽しみです(^^♪
 白石、江別のれんが250万個が使われていたと聞いています。

 現在は耐震改修工事の為内部に立ち入ることはできませんが、北海道では今夏、ガイドによる観光案内を実施るとの報道もあったようなので、楽しみですね。今は仮囲いがあってなかなかきれいな外観を見る事が難しい事もありますし、お客さんの流入にも制限がありましたが、それでも訪れて頂ける人達は其れなりに絶え間なく前庭を散策しています。大事なことは歴史あるこの場所に来たという事であり、きっと、再建後にまた来るぞと思っていただけると信じています。東京オリンピックの遅延のこともあり工事の延長もありますが、市民道民も大変期待しています。北海道は一次産業と観光が将来へのベクトルを形成しています。 これからの世代にも引き継いで行ける北海道産業としての資産としての赤れんが庁舎、立派に無事に完成してください。

松浦武四郎が1859年に完成させた「東西蝦夷山川地理取調図」
この下にブロックごとに詳細図を皆さんが写真を撮られて、道内各地の故郷の地名のゆかりに頷く姿をよく見ていました。
札幌の創世期のジオラマは本当に解りやすくて、街がどのように形成されたか説明するためには、ありがたい存在でした。

北海道議会議場 OLYMPUS DIGITAL CAMERA
北海道議会 外観 OLYMPUS DIGITAL CAMERA

北海道議会

 2年前に出来た北海道議会の建物は同じ敷地内にあります。議会の開催している時は見学できませんが、事前に予約を取って見学されれば、職員の方たちの丁寧な面白い説明を聞くことが出ます。

本会議の傍聴、補聴器の貸出、手話通訳、議場見学については

 総務課 直通011-204-5682 FAX 011-232-8213 
       E-MAIL gikai.somu10@pref.hokkaido.lg.jp