大事な学び

昨日の格言だよ 2022 (^^♪

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北米ミンカス族

 2022年最後の大晦日になりました。いろいろのことがありました。私にとっては少しだけ充実した1年に近づいたような気がします。ポジティブな気持ちを維持できたと思っています。それはやはり、動くことを中心にものを考える事が出来たからでしょう。他人から見れば笑われるような毎日ですが、幸福な1年でした。来年はもっと自分磨きのできるより活動的な日々を計画しようと思います。皆様ありがとうございました。

ダビッド・J・シュワルツ

 大きな結果とは?大きな成果ではないようですね。達成すべき目標が見えてなければならないという事でしょうか?今年もあと、2日ですね。最初に考えていたことをどれほど達成できたでしょうか?反省するよりは、来年の目標を考える方が好きです。そこのところで、大きな結果を生み出す目標を定めなければならないですね。良い結果を生むために小さな事ばかり目標にしてはいけません。という事ですね。

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シェイクスピア

 この記事もそろそろサイズオーバーで、読み込みに時間がかかるようになりました。来年からは、この「昨日の格言だよ。」から、もっとその日の季節感を入れた日記風に書こうかと思っています。読者もかなり少ないようなのであまり迷惑にはならないだろうと思います。思いつくまま、格言は入れながらも、段落内容は日記風になっていく、まぁ、あまり変わらないかな?とにかくも、サイズがオーバーなので、何とかするつもりで移行する事とします。 あと少しですね。

フェデリコ・フェリーニ

 この監督さんの映画をテレビで見たことがある。私が生まれた1954年製作の「道」である。不思議なスチエーションでオジサンと女の子が出てくる。この頃の映画は不思議な雰囲気を醸し出すのかもしれません。「ブリキの太鼓」これはドイツの映画?日本でも寺山修司「田園に死す」とか若い時見たけど、他人の評価もいろいろあるのかもしれないが、見ることによって、その人のものの捉え方に影響を与えると思いますね。それらの映像に価値があるのかどうかは別にしても、必要な映像ですよ。

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阿久悠

 阿久悠さんは、当時、「近頃いないのです。」と、仰っていましたが、私は最近の女子は凛とした子は増えたような気がします。それは単に気の強い女子が増えただけではありません。彼女たちは優しいと思いますよ。自由で、強くて、優しい。それに近づけない女子もいるけど、それぞれの個性がその3要素の強さの差なんだろうと思います。もっともっと、強くて優しい女子が頑張ると、戦禍や飢餓の無い世界ができるかもしれません。 Merry Christmas

ジョセフ・マーフィー

 レポートを読むくらいの人は其れなりの資産家でしょうか?否、現在は、個人投資家が増えつつあります。国が積み立てNISAなどを拡大推奨するから、若い人の関心も高まっているそうです。この様に国が個人資産の運用に優遇制度をニンジンに自由市場経済の真っただ中に放り込むのは、如何なものでしょうか?いざと言う時の救済システムが用意されているとは思えません。どこかの投資会社や運用の下手な企業がウラで動いているのが見える様な気がします。貧乏万歳!!

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山崎豊子

 北海道神宮には、祭事の有無の如何に関わらず、多くのお参りに来られる人を見ることが出来ます。そしてその多くの人が、人として、最も美しい姿を見せて頂くことが出来るのです。それは神宮に祀られている大那牟遅神、少彦名神、大国魂神、そして明治天皇へのお詣りを現すお辞儀です。老若男女問わずその姿をここでは多く見る事が出来るのです。最も日本人らしい姿とも言えるのかもしれません。年末年始の時期がもうすぐやって来ます。寒いですがその姿を拝見に参ります。

Taraneh Alidoosti 

 支配者と言う者は、或いは正義を以て頂点に立っていない者達と言うのは自分たちの革命によほど自信がないのだろう。革命は世界に自らを大きく示す表現ではあるが、それが宗教に基づくものであろうとも、そこに民衆の支持の無い虚飾に塗れた単なる権威主義であるならば、その革命、宗教自体が怪しいものであると世界に印象を与えてしまう。ある意味、彼ら自身の神に対する冒涜であるのかもしれません。

Franz Kafka

 急遽、小樽新聞社(現在の北海道新聞社)購入したばかりの飛行機の着陸上の建設は、千歳の青年団、婦人部、小学生までもが参加し、約2日間で150人ほどが鍬(クワ)などで整地作業にあたりました。そして、平坦で広大な火山灰地であったサンサシの沢(現在の航空自衛隊千歳基地の西側滑走路北端)に、長さ200メートル以上、幅100メートル程度の着陸上を完成させました。こうした村民の無償の働きが、千歳の飛行場づくりの第一歩となったと伝えられています。

徳川家康

 織田信長、今川義元もその流れかな?多勢に無勢。かつての戦国時代の戦は農民の戦力が大黄な担い手となっていた。一攫千金を目指す農民たちはもちろん多勢の群を形成していくが、それは烏合の衆にすぎない事は当然ではあるが、その一翼は限りなく脆い。戦を知るものはその脆さを知っている。無謀な挑みではない、一致団結の一軍こそがその戦の勝敗を左右して行く。ただただ、一心の勝利を目指すだけなのだ。迷わず、勝ちを信じる切るものが徳川家康になる。

中村天風

 常に笑って生きて行くのは大変かもしれません。どうしても、せいぜいは、半笑いになってしまいがちだ。半笑いってのは傍目にも決して美しいものではない。高笑い、笑い飛ばす、大笑い、これは美しさに繋がっていくものかもしれない。庶民としては、まぁー出来れば、落語でも聴きに行くのが精一杯かもしれない。第一線で行く者は笑顔を多く見せているのかもしれないね。昨日4冠チャンピオンになった井上尚弥、大谷翔平。やるべきことをやっていれば、笑顔で生きられるのかもしれない。

マヤ・アンジェロウ

 これは難しい。そもそも、自分の心に虹がかかったことがないのだから。他人どころの話ではないのだ。しかも人に虹を点すゆとりもない。そう考えると、虹を人に贈ることのできる人と言うのは並大抵の人物でなければならない。それほどの度量とそれほどの人間性が必要になるのではないだろうか。となるなら、先ずは自らを磨き直さなければならないのではないだろうか?情けは人の為ならずという事なのだろうか?

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フランソワーズ・サガン

 サガンはこうも言っている「自信をなくすことのない人間っているかしら。わたしは自信を持つときがありません。だからこそ物を書いているのです。自信のないことがわたしの健康であるわけです。」そんなときに一杯のお酒は彼女の救いになったのだろうか。否、酒を逃げ場とはしていない。酒は永遠の親友であるべきだろう。自らを励まし、自らの成長を楽しみ、自らの明日を夢見る。そんな時の良き友だ。これから厳しい寒さの冬がやって来る。そんな友と一緒に春を待つか。

アンリ・マティス

 冬になれば、鼻を見る機会が減ってくるのは仕方のない事だが、それでも人は鼻やで、クチナシの花鉢やポインセチアの花は戸を買い求めようとしてしまいます。北海道では庭や道端でそれを見る事もありません。割くのは雪の結晶の華です。中谷宇吉郎先生が言った「雪は天からの手紙」とは正に華の形で空の気候を伝えてくれる大事なお知らせらしいですよ。ワシらが見てもそりゃ、解らんけどね。

織田信長

 どうしても、歳をとると新しいもの、その術を得るのに臆病になり、その結果として、安心安全な方法で確実な結果を求めてしまうのは仕方のないところではあるが、世界は遥かに自分の図れぬほどに進化を続けていることを忘れてしまう。結果は惨めなものとなってしまう。堅実で、確実なところを歩んでいくことが一番の早道であるということ自体、現代では遅れた思考なのかもしれない。だが、すべてを現生の思考価値に合わせようとは思わない。老化だろうか?

西郷隆盛

 西郷隆盛は西南の役で最後はかつての戊辰戦争で共に戦った薩摩の新政府軍に向かい切腹で果てるが、そこに至るにはどのような胸中だったのだろう。薩摩藩の郷中教育にて親元を離れ、上のものが下を指導するということが、学問だけでなく、武術、心の鍛錬に関しても細かく行われていました。彼の征韓論や維新の達成感を越えて、人間としての捨て置けぬ心が、たとえ誤りだとしてもそれを貫かねばならない意志となったのだろうか。今も薩摩は西郷を愛し続けている。

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ウィリアム・シェイクスピア

 悪を売り物出来るだけの勇者は少ないという事だろう。悪を以て世界を支配しようとすれば、その達成を阻む者が多数連立するのは明らかであり、ウィルスのように浸蝕するほどのメカニズムも知らず、姑息に大義名分、言動を飾り民衆に媚びる。その様にすれば、民衆が担ぎ上げるだけではなく、民衆に罪を擦り付ける事もできるからである。悪の勇者は孤高であらねばならない。自ら悪の先鋒として、世界の正義と闘わなければならない。得るものは真の正義かも知れないが。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

 最近NHKの「映像の世紀」「RBG 最強と呼ばれた女性判事」を見てしまいました。アメリア・イアハートやエミリー・デイヴィソンについても感動しました。私は特に女性崇拝者ではありませんが、女性が自らの権利の獲得に向かう時は男性の勇気を越えて行くものなのだと知りました。そして、男性と言う者は理性ではなく、真に恥ずかしい事ではありますが、腕力で生きてきた生物なのだと知りました。彼女たちには今後もよろしく、お願い申し上げます。

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A・A・ミルン

 

姉妹都市提携50年ミュンヘンクリスマス市

  1972年、オリンピックは夏季、冬季同時開催。それを祈念して姉妹都市が提携されました。もし再び開催するなら、タッグを組むのが良いと思いますよ。市民同士お互いに話し合って、今立候補すべきなのかも含めて、それがきっとこれからの子供達にも大きない文化遺産になると信じています。豊か未来は我々ではなく、お互いの街に住んでいるこれからの子供たちに与えられるべきではないかと思います。

ジョン・グレイ

 まぁ、「類は類を呼ぶ。」と言うのは能動的な表現ではないと思うけど、このパターンだと、理解はできるが、下手をすると気持ちの悪いオタク的な集団が出来上がりそうですな。人間は若ければ若い程、受容体が大きく、自分とは全く違うものでもしっかりと受け止める能力を持っているが、老人と言われる類は誠に保守的と言うか、排他的と言うか、頭の構造に柔軟さに欠けた生き物になりつつある。恐らくは憶病になるのだろう。恐怖すら感じているのかもしれない。それを防ぐのは「学ぶ心」なのだろう。

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マイスター・エックハルト

  サッカーワールドカップはPK戦の末に残念な結果に終わってしまったが、日本中を十分に楽しませてくれました。Jリーグが出来てしばらく時間が経ちましたが、本当にプロフェッショナルになったんだと実感できた大会でしたね。小さな子供達にも多くの夢を与えてくれた。それが一番の収穫だったんだろうと思います。彼らが夢を引き継いでいく。それがフットボールの日本における新たな文化として構築されて行く。世界との絆がそこから生まれて行っていただきたい。

牧野富太郎

 子供の頃は空き地の雑草やその花を蹴散らしていた。牧野先生に言わせると「雑草という草はない」と仰る。それはそうなんだろうと思います。今やすっかり植物教に深い信仰に浸りきっている自分がいる。これも一つの老化現象なのだろうか?光と水と風が命を作り出す。不思議に思うよりは、その自然現象に取りつかれているのかもしれません。今は冬の始まりで部屋の中で、自分と一緒に春を待っている。正に同志である。

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不明

 だんだん人に愛されという事が亡くなってくる世代となってきた。寂しい事だが、仕方あるまい。親の愛を思い出すことも多くなるのかもしれないが、大事なことは自分自身を愛する事だと思う。まぁ、見てくれも段々と酷くなるし、情けないなぁ~と思う事も多くなってくる。それでも最後まで一緒なのはこいつだけである。子供時代、青年時代、壮年時代、そして老年時代、長い付き合いだが、お互いに今後とも、宜しくお願いする事にしましょう。

言志四録

 どうしても自分と言う者が確立していないというか、自らに自信得ないときには、どうしても高名な人を神輿に挙げるのが人の常かも知れない。祭りの神輿ならだれでもあり難かるものであるから、知れを担ぐ者まで、尊敬の対象であろうと勘違いしてしまうのかもしれない。祭りのうちは良いが、終われば、「ちょっと、あんたじゃないから!」と言われ、ショックを受けたりするものです。何度も学んで、ようやくと自分の有り様が見えてきて、ようやく人は身支度を整えるようになるものらしい。

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仏陀

 お釈迦様も人に難しい課題をお与えになるものですな。これを成そうとするなら、自ら得度をし、仏門にでも入らなければ成し得ないのかもしれません。が、しかし、一瞬で良ければ、清らかな心を得ることが出来るもので、美しいものや、心に触れる時、人は清らかな心を得る事が出るものです。その瞬間だけは、確かに幸福な気も意を得ていることは間違いありません。ゆえに、その機会を増やすように自分自身も、社会も創り上げなさいという事か。分かりました。お釈迦さま。

坂本九の「見上げてごらん夜の星を」歌詞

 坂本九さんが御巣鷹山で事故で亡くなられてかなりの時間が経ちましたが、あの時に受けたショックは少なくないというか、時間が経過するとともに思いが膨らむような気がします。あの才能というか謳う力が今も残っていたら、どれほどの人を勇気づけられたのかと思うと、虚しさに苛まれてしまいます。運命が全てを支配するなら、なかなか、神様とは和解できない自分がいる。いつかは和解しなければならないと思うが、自分のような凡才以下が人生を全うし、坂本九さんが天界で謳わなければならないとは。

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ローラ

 負け戦の連続の人生だったかもしれない。自分にも負け続けてきたかもしれない。だけど、これからは自分の弱さと共に生きて行こう。弱さがより顕著になる世代になるなら、それもまた、楽しもう。なんて、強気は言ってられなくなるだろう。そんなことを言っている自分を恨むだろうが、今はこれで良しとしよう。今日ももうすぐ陽が昇る。朽ち果てるまでは自分の人生だよ。泣き言は、今は不要だ。

サキャ・パンディタ

 自分はこれで行くと、かなり傲慢になりそうだな。怖いわ。でも、立派な人は自然と金持ちになっていくか、金に固執しないから、金があっても、金持ちという自覚がないのではないか?世界でも電気自動車の会社作った人なんか、傍から見ていてもかなり傲慢に見えるから、このチベットの高僧からすると「劣った人」という格付けになってしまうのかしら?まぁさぁ~劣った人と格付けされても良いから、一度、お金持ちになってみたいもんだよ。

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天空の城ラピュタ

  まだまだ、冬が始まったばかりで、春は遠く彼方にある。しっかり諦めてというよりは、そんなネガティブな思いは棄てて、厳寒の冬のサッポロを楽しもう。老体には年々きついが、あの寒さの中で、うちから湧き上がる熱源を楽しもう。帰宅後の暖かい部屋や熱めのふろを楽しもう。そしてそこで冷えたビールを飲みながら昔見たことのある映画でも鑑賞しながら、涙して、ぬくぬくの寝床で熟睡してみたい。だけど、最近はすっかり熟睡できなくなったな。とほっ(^^♪

静憲法印

 自分だけは信じなくてはならぬ時に、他人を信じることに頼るのはあまりにも哀しすぎるものだと思います。自らを研鑽するする人ほどに、自らを卑屈に見下し、軽薄な意見に傾倒してしまう。傍から見れば明らかなことも当人にはそれすら見えぬこともあります。自分を堅固なものにするために自らを鍛え上げれば、上げるほどに、自らの未熟さにたどり着いてしまう。人間はいつまで経っても熟成できない生き物かも知れませんね。

Johnny Depp

 時間とお金があれば、いくらでも楽しめるのかというと、そうでもないのだと思う。それであればきっと、浪費が楽しみになるような気がする。あくまでも自分の経験ではあるけど。これは、成金の思考回路かな?お金がなくても、時間が無くても楽しめる事はいくらでもある。他人を気にしなければ、他人に迷惑を掛けなければ、見つけ出せる自信があるような気がする。究極はお金と時間の節約方法を見つけ出すことかもしれないが、それはとりあえずやめとくよ。多分、間違いなく飽きるからね。

斎藤茂太

 楽しめる事って何だろうって思う時、大事なことは一緒に楽しめるってことが大事なのだと思う。パートナーでも友人でも誰でも良いが、その場でその時を楽しむという事も一つの楽しみかもしれない。それが出来なければ、一人で楽しむ方法を考えなければならない。すぐに飽きてしまう事では決してダメだし、ネットショップに嵌まり込んだり、自分が疲弊してしまう事はもっとダメなんだろう。それを真剣に考えることを楽しみとしなければならないのかな?

平家物語

 平家物語に雪が出るとは、それも野原を覆うような雪とは。老僕は惑い尽くして多くの知恵を得ているものらしい。それが世の役に立つときもあれば、更に世を惑わす時もあるのだろう。それも知るが故に語らぬ者達もいる。求めてくれば、語らぬものではないが、こちらよりは語らぬが良しとしていると思われる。世界で老人たちが語ることによって苦しむ人たちが増えるのであれば、いつか必ず、再び、姥捨て山は復活するだろう。

ミルトン・バール

 これってさ、新しいドアを作る頭脳と労力を考えるとすごい重荷に感じるけど、楽しめる人ならきっと苦にならないかもしれないね。ノックをしてくれる人を想像できる人は幸せだと思うよ。それは想像を超える経験の始まりかも知れません。ノックをする人もそれにこたえてドアを開けて迎え入れる人も絶対に笑顔にならなければなりません。さて、また課題はどんどんと重くなっていきますが、夢もどんどん大きく広がってゆきます。幸せの世界を広げるドアを作ってください。ノックしますよ。必ずね(^^♪

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ハリル・ジブラーン

 世の中で恐らく、一番多くある調味料は塩かもしれません。そして最も昔から商売上の取引の品物としてももっとも有名なものかもしれません。人が海から生まれたものである限り塩と縁を切ることなどありえない事です。一種類のように思える塩もその数は種類が恐ろしいほど多くあり、天然塩でも海から製塩されるものや、岩塩もありますが、いずれも海が根源であることには違いがありませんね。歳をとると死を味が、否、塩味が好みになるのは海に還る準備かも知れない。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

 運命も同じように天の四隅より吹く風に支配されているように感じる時がありますね。愛と運命は同じ出自でしょうか?愛が満たされぬことはあれども、運命は常に良きにつれ悪しきにつれ満たされ切っているようにも思えます。しかし、それはそれだけではなく、それぞれの意思を無視する事は決してできないことも間違いではないだろう。それにはその意志を持つ者の理性と知性に添うものであれば、人の心もその運命も他人から見れば美しく見えるのかもしれない。

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チャップリン

 虹を見つけられるのは能力だ。と言うyoutubeを見たよ。それは龍神に護られている人に現れるらしい。そしてその人たちは雨女、雨男と言われるらしい。八坂神社も龍神信仰の社であり、祇園山鉾には龍(ではなく蟒蛇)の刺繍の有る中国の蟒復、蝦夷錦の加工品を掲げている。実際は蟒蛇であるが、当時の清の皇帝は龍の刺繍をつけたロンパオを纏っており、龍神こそが人を頂点に誘う神であると信じられていたようで、それは日本の龍神信仰にもつながっている。札幌にあった井頭龍神が消えてしまいました。無智とは恐ろしい。

ヨハネ・パウロ2世

 立ち止まることも必要だろう。というのは逃げ口上なのか?じっくり考えてから行動する人間にとっては、なんともせわしい事ですな。wwまぁ性格上自分を冷静に見つめることが出来るなら、追い立てられなければ、腰が重すぎているかもしれません。過去に酷く捕らわれて、精神がやられるくらいなら、未来を明るく描く方が人生は楽しい。そして、それは考えた瞬間に始まっているという事なんですね。

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ドラクロワ

 確かに歳を重ねて、暴飲暴食には堪えられなくなりましたね。この様な年齢まで、食に恵まれたことに感謝しなければなりません。21世紀のこの時代でも、人間の少なくない割合で、飢餓に苦しんでいる地域がある。かたや、宝飾を貪り、富の多くをわずかな人々で分かち合ている現代社会はいつか必ず歴史の中で裁かれて行くことだと思いますね。それが資本主義、自由市場経済なのだという言い訳を許していけば、侵略や戦争は永久になくなりはしないのだろう。いつか、必ず手厳しい反撃にあうだろう。

ジョージ・ミケシュ

  時々、猫か犬でも飼ってみようかと思う時があるのですが、犬は散歩に連れて行くのが面倒で、猫は家の中を荒らしそうで恐ろしい。札幌には「しっぽの会」という行き場のないペットを新たなパートナーを繋いでくれるそしきがるそうだが、どうも年寄りの一人暮らしは相手にされないようです。行き場のない老人を斡旋してくれる認定NPO法人はどこかに無いものかね。まぁ、そんなものがったら、職員さんが皆やめてしまうほど忙しくなりそうだね。

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フランツ・カフカ

 美を見る力というより、美をどのように捉えているのかが自分自身、解っていないような気がする。その人の持つセンスだと思うのだけど、それを鍛えるには数多くの美に出会わなければならないが、それだけではなく、生まれついて備わっている人がいる事は確かに理解できますね。それと一番大事なことは、美を愛する事なのだろうと思いますね。また美をどこに求めるのかにもよるのかなとなんとなく思っています。まぁ。自分には似合わない、苦手分野であることは間違いありません。

Lady GaGa

  小さなすれ違いが、大きな傷を残すことが少なくない。人とのコミニケションを上手に扱える者にとっては即時の修復も可能であり、小さな傷で納める術もあるが、そうではない人間にとっては、それを全て受け止めて生きて行かなければなりません。それを苦にしないと決めていてもそれは自らが望む選択ではなく、ましてはきめきれない人にとってはどのように切り抜けて行くのだろうか。人との関わり合いを避けて生きて行こうとしない事がその人の人生を決めている。

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ティトゥス・リウィウス

 人間社会というのは理論通りにはいかないのは、世の常であるのかもしれません。人は皆臆病なのは当然ですね。自然の生き物としての防衛本能は其れを失うことを許しません。しかも自らこそが最も正しい判断をすると信じています。過去の判断で一割でも正しい結果を得た者は其れを自信とする者なのです。それでなくては生きてこれなかったから仕方はありません。これをどのように解決していくかは孤立をできるだけ避ける事なのだと思います。孤独な判断こそ恐ろしいものはないのかもしれませんね。

ショーペンハウアー

 UFOとかって、最近あまり騒がれなくなったけど、ブームのように人気サイクルを繰り返すテーマですよね。いつも思ってるけど、最初に「空飛ぶ円盤」というイメージで、いつまでもそこから抜けきることのできない人間たち。まー、葉巻型とかわざとらしく目くらましの様なイメージパターンも想像しているけど、人間の想像の域を超えることは無いのだろう。恐らくその想像をはるかに超えてしまうイメージが現れると、人間には堪え切れない不安や恐怖が訪れるのかもしれません。

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夏目漱石

 尊きものとは何なのか?しかも自らの尊さとは自らが認めるべきものなのだろうか?それがあればこその誇りという事なのか?誇り無きものは奴隷という事を漱石先生は仰っていらっしゃるのかな?最近思考回路がかなり遠回りしていることを自覚しだした。まぁ、歳をとって、くどくなったのかも知れない。左の写真は小樽の日和山灯台に出掛けた時の飲食店前の風景だが、良い香りがしていました。自らの誇りというよりは喰い気の方が勝っているのかもしれない。人生の奴隷か?

旧約聖書 ヨブ記

 自らへの戒め。ただただ、惰眠を貪るが如く歳を重ねてきた反省というよりは、これからの自分への励ましとして行きたい。然るべくあるべきを常に考えて言動しなければ、他人様から笑われる老僕に成り果てました。とりあえずは常に前に進む姿勢を忘れない事。しかし、他人様より前に出過ぎることを慎む事。自らの小さき力を他人様の為に捧げ尽くす事。そして、それらの事を忘れず、弁えている事。

 J・K・ローリング

 暗闇こそ、わが友である。と言う人もいるかもしれないが、僅かな光があればこその闇ではなかろうか。先日、小樽の日和山灯台を内見出来るという事を知り、訊ねてみた。海上保安庁の職員さんのお話だと、GPSのある現代でも現役であり、その光軸は35㎞に及ぶと知りました。昔の船乗りが求めた灯とは、その厳しい海上でどのように見えたのか想像するときっと、その人の家族の顔であり、希望、そのものだったのかもしれません。

大倉喜八郎

  大倉喜八郎は建設業界の大成グループの創始者であり、開拓使ビールの払い下げを受け、現在のサッポロビールの開業に関わっている。札幌の大倉シャンツェの創建者喜七郎氏の父君です。札幌の開拓に深く関わった人物でもありますが、幕末期には戊辰戦争に活躍した武器商人でもあり、時代が育て上げた経済の実力者であることは間違いないようです。大倉商業学校(現東京経済大学)・大阪大倉商業学校を創設し学校や研究団体への寄付も惜しまなかった。

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中村天風

 これがないと人間は生きては行けなくなります。心が苛まれてズタボロになるような気がするものです。いつもいつも、毎日終わりが爽やかにすっきりと終結するほど自分には能力はありません。不幸な結果に終わっても、いつまでもそれを引きずりながら翌朝を迎えようとするのは絶望的な気分になりますよね。老僕ともなれば、それが時間によって解決していくことを経験上理解をしているから、大きな問題ではないが、先生が言うところの心の片隅の大掃除はするべきなんだろう。

井沢元彦

 どうにもならないだろうなと思うようなことは時々起きるが、性格上ほったらかしに出来ない人もいるだろうけど、自分はめんどくさがり屋さんなので、そんなこと朝飯前。だがそれが時々不幸を生み出す時があるから恐ろしいというか、自己嫌悪にまでなってしまうのはつらい。結局、泣き泣きほったらかしできないことになってしまう。きっと、度量が小さいのだと思う。それが大きければ、それによって混迷に陥ってもびくともしないのが当たり前だからであろう。

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リンカーン

 決心するという事はそこから行動に移すことだとするなら、勇気が伴うものだ。人はそのように思う時はなかなか腰が上がらない。行動することによって、魅力ある見返りがあると予測できる時は決心するのに時間はかからないが、それを予測できない時は必ず惑い、最初とは違う行動に走り、失敗し、後悔の海に溺れてしまう。だから幸せを伴う決心をするときには、熟慮が必要になるし、そのためには勉強しなければならない。さぁて、今日も勉強する決心をしようか。

クリフトン・ファディマン

 酒を一人で楽しむ人もいれば、仲間とワイワイと賑やかなひと時を過ごすことに幸福を見出すことも時もあります。哀しい酒はいけません。それは酒に飲まれてしまうからでしょう。酒が無くて何の人生か。タバコはやめてしまったが、酒は量は少なくなったが、いまだに飲み続けている。ついでに酒も止めれるのかもしれないし、それはいつでもできる自信はあるが、それをやっちまったら、俺は仙人に成り果てるだろう。それだけはご免こうむりたいものだよ。

オノ・ヨーコ

若い時は友人などと夢を語ることもあるかもしれないが、歳をとって、夢などと語り始めると、「まぁ、あの世とやらに行ってから考えるよ。」とか言われそうで、現実には絶対ならないだろう。でも年寄りは狡賢いからねぇ~(^^♪できやすい夢に飛び込んでしまうかもしれない。それでなきゃ、変なねぇーちゃんに捕まって、なけなしの財産を持っていかれるのが関の山でしょう。今の夢は、健康で、美味しいものが食べられてさ、ゆっくり風呂入って、しっかり寝る。いい夢だろ

ラミウス艦長

 緊張の海の中で大航海時代の別な意味での緊張感に彼は憧れていたのだろうか。今の世界の情勢を見ているとあの頃の世界の緊張感には、どちらの側にも、大人のゆとりがあったような気がする。現在の世界ではあり得ない時代背景が創り出した映画である。現代の世界のリーダーを見るといづれも、とてもではないが稚拙なという表現をしては行けないかもしれないが、人民、国民の為というよりも、国家の威信、誇りというよりも、自らしか考えていない愚かな者しか見えてこない。

高橋 尚子

 いよいよ、冬の始まりが近づいてきますと。ベランダの鉢物の整理をしなくてはなりません。この子たちが無事に冬を乗り切れるのか不安ですが、自分の未熟さで、半分はダメにしてしまいます。本当に懺悔というか、無力感に苛まれてしまいますが、それでも、何とか希望を棄てずにできる限りのことはします。キューちゃんも練習でへこんだ時もあったのだと思います。でも継続する事がやがて大きなオリンピックでの大輪となりました。あの感動をありがとうございました。

カール・サンドバーグ

 命を自ら断ってしまう若い人たちがいる。其の心持を理解できるわけではないが、今を生きている老僕はいたたまれぬ思いの中で惜しんでいる。ある医療機関の表現に「あなたが生きた今日は誰かが生きたかった明日かもしれない。」とありました。あなた達の命は貴方たちだけのものではありません。あなたを生んでくれた両親、兄弟姉妹、友人、或いはペットかもしれません。近所のジィちゃんかも知れません。誰かが哀しむのであれば、それは決して、あなただけのものではありません。忘れないでください。

マキャヴェリ

 徳川秀忠が同じようなことを言っている。秀忠の方はかなりリアルな体験から月は二つ要らないみたいなことを言ってましたね。これは優秀な部下だらけだと優秀な指揮官二人は扱えるが凡人にとっては、苦痛以外の何物でもないのだと思います。秀忠にとってもそれがかなりの苦痛を伴ったので「月が二つあっては天下は治まらないだろう。」という表現が出てしまったと思います。まぁ、凡庸な指揮官は其れなりに不安があることも間違いはないのですがね。

アントン・チェーホフ

 あらゆる理不尽に対する憎しみが人々を団結させることを知らない為政者は大変気の毒な事になってしまいます。歴史を学べば良いだけなのですか、そのような普遍的な人類の動向は誰でも理解できるのですが、強大な権力を持ってしまうと民衆の苦しみや悲しみがその権力すら習がしてしまう事に怖れを忘れてしまうのかもしれない。いくら失敗を続けていても、民衆はいつか、為政者は目を開く時が来ることを願っているが、それを諦めねばならなくなった時こそ、その時が来る。

室生 犀星

 そのまんまだね。昨日はただ眺めるだけで、今日は今日で、見ているようで、ただ、慌てて終わるだけなんだけど、明日こそはといつも思う。でもそんな事よりも、今日を落ち着いて、じっくりと良く生きることが出来ればいいのかな。「日々是好日」っていう事なのかな?なるほど!?今日をよく生きるってことは、昨日じっくり熟慮できているってことなんだな。なんとなくわかって来たよ。じっくり熟慮していることはその日をよく生きているという事か。「日々是好日」なんだね。

五代目 市川團十郎

 質素に生きる事が粋に生きる事なのか、通じる事なのかは知らないが、断捨離、終活とは間違いなく繋がっている事だろう。團十郎の生活はちっぽけなプライドを超えた場所にある真の豊かさとはこの事だと思い知らされる。華やかな歌舞伎の世界を去り、「白猿」として生きて行く隠居の世界は一瞬の寂しさにも怯えたのかもしれない。だが五代目として最期まで粋を通す意地だけは決して忘れない。 跡目有る者の真の姿。

禮記に曰く

 人は何も彼も受け入れることが出来るほど大きな器を持った人として生まれてくるわけではない。多くの人と接して、人を学んでいくのだと思う。そこには喜びや怒りや悲しみがある。それが器を少しづつではあるが拡張する力となっているのかもしれません。それには時として大きな代償を払ってきているのかもしれないが、それでも、今日も人は少しづつ大きくなっていく事を信じて生きて行きたい。

ジョージ・エリオット

 時代は進み、文明は明らかに50年以上前に比べても進化してるのに、人の笑顔が増えていないような気がする。むしろ、人は老人や、グズった子供の様に気難しくなっているようだ。自らの稚拙さを悟られないようにしているつもりなのだろうか。子供のような笑顔を持つ人は幸せです。それはきっと幸運をもたらしているのだろう。この技、おっさんよりはるかに女性にとっては得意技だと思います。

デール・カーネギー

 「2年間、人に好かれようと努力するよりも、2ヶ月間、人を好きになったほうが、ずっと多くの友を得られるだろう。」など、なるほどという格言をいっぱい持っている米国作家さんらしい。鉄鋼王のカーネギーさんとは別人のようですが、素晴らしい言葉の財産があるようですね。現代は非難の時代、非難する者に注目を当てる時代なのかもしれない。人を理解し、称賛する世の中がいつか訪れることを期待したい。ひなする者の表情は決して美しくはない。むしろそれは醜く打つことの方が多いような気がします。

千利休

  国の誇りこそ、頭を下げる事では守り切れないだろう。逆に言うなら、頭を下げて、隣国への誇りを蹂躙したことを贖う事は出来ないという事である。指導者だけの問題で済む話ではない。自国の誇りを失墜させることをしたのならば、償いきれない汚名を自分の末裔まで、否、何世代も国家の恥として、国民は継いでいくしかありません。日本もそのことを日本人であるがゆえに忘れてはならいと思って生きて来ています。その時の指導者の感情が、遠く及ぶことだけは知らなければ、その資格はなかったのだろう。

名僧・釈宋演

 「勇気と純真さを兼備しなさい」と。これは修羅場での立ち回りの極意です。山岡鉄舟が、友人の「清水の次郎長」に、「出入りで負けないひけつ」をたずねたことがあります。「まずは相手の強さをはかります。刀を抜いて相手と切っ先を合わせたときに、ちょっと押してみるんです。そのときすぐに押し返してくるのは弱い奴です。冷静さを失っているから、即座にぶった切ってしまいます。けれど、押してやると押されるままに引っ込んでいく奴がいる。こんな奴は強い。だから、なりふりかまわず逃げちまいます。」と

マリア・ニエベス

 アルゼンチンタンゴって踊れないのに、というか日本人には決して似合わない(怒られそうですが(^^♪)美と色艶を醸し出すダンスだから、皆ついつい憧れてしまいます。アルパチーノの「セントウーマン」での一場面などは、日本人では表現できない世界の様な気がします。(また、怒られソー(^^♪) でも世界中の人達はどんな形でも踊ります。皆笑顔になって回りだします。人は踊る為に生まれて来たのかと思うほどです。マリアは言います。「私はタンゴのために生まれ、タンゴのために死にます」

エラ・ウィーラー・ウィルコックス

 それはかなり厳しい言葉だね。笑えないよね。開き直りの薄笑いが精一杯でしょう。それとも、八方塞になるほどに、あらゆることに挑戦できることも凄いことかもしれない。恐らく自分などはそのような窮地に追い込まれないように窮地を回避するように挑戦していく心を消し去って来たのかもしれない。だから何も失わないが、何一つ得るものがなかったのかもしれない。残り少ない人生自分なりに一つ一つ、もう一度、挑戦してみるよ。

山岡 鉄舟

 これはワシには難しい課題かもしれない。常に人に感謝する気持ちを忘れず、自己満足な善行に勤しむことに溺れてしまいがちなのかもしれません。時々、自分でも空回りしていることに、はっとする事もあります。人様の全をまずは見つめ、それに習う事を大事にしていく。という事なのだろうか。誰かこの理解不能な老人に丁寧に教えて頂ければ、大変ありがたい。よろしくお願いします。

白い巨塔 関口弁護士

 人の命の重みを顧みない財前教授を諭そうとする関口弁護士のセリフですが、今の東欧の戦争にも言える事ではないのかと思います。この山崎豊子の名作は、現代社会於いても、いかに大義があろうとも唯一無二の命を軽んじる者は許さない。いかに厖大な権力者であろうともあなたの家族や、あなた自身の命は軽んじられてはならないという作品である。世界で大きな権力を持つ者はより小さな命に配慮できなければその資格はないという事なのだろう。

樋口 一葉

 五千円札って、一番なじみが少ないお札なのかもしれない。お財布に滞在しているのも短いし(一万円札も短すぎる(^^♪)、じっくり見ることも少ないから、題材に選ばれる人には「あ~ぁ、これかー!?」って、テンションが上がり辛いかもしれませんね。樋口さんの次が津田梅子さんらしいですね。北海道の開拓使の予算で米国留学したように聞いています。同じ五千円札の新渡戸稲造とも交流があったようですね。

忌野 清志郎

 忌野清志郎さんが自分より先輩とは知らんかった。確かに、腐ったやつは増え続けているし、その連中がセンターに立っていることに気がつくこともある。逆に言うと、真の大人が少なくなったのかもしれません。ダメな大人を怒鳴り飛ばす先輩がパワハラとかレッテルで排除されて消えて行く。情けない世の中になってきているのかもしれません。気をつけないといつの間にか自分が腐っちまわないか心配になってきたよ。清志郎さん。

幸田 露伴

 それは、先生はそう言われるが、人は貧富に左右されるものです。生活にゆとりがあれば好きなことも自由にできるものです。物欲ではなく精神にゆとりが出るものかもしれません。それでも毎日、人並みに働いて、人並みにご飯を頂くことの幸せはありがたく感じております。そして小さな夢を見るのが一番なのかな、何か小さなことでも成したことが充実した毎日の積み重ねなのかなとも思います。さて、小さな住処の掃除でもしようか。

兼高かおるさん

 子供の頃、日曜日になると浅野「兼高かおる世界の旅」という番組が始まると、目を輝かせて見ていた。うちの祖父も真剣に見ていたので、皆旅人になり切っていたのだろう。人間には元々、放浪徘徊して喜びを得るという行動は備わっているのだと今も感じています。旅は楽しむためのものであってほしい。仕事で遠くへ出かけたり、何かから逃避しなければならない哀しい旅もあるのかもしれないが。それでもそんな時こそ、つぎはきっと、自分にとって価値ある旅をするぞと誓う。

男はつらいよ 柴又慕情

 車虎次郎の映画はいつ見ていても安心できるのは、山田洋二監督が当時のお正月映画という前提に作っているから、上映が終わって、映画館を出る時にキャスティングされた人たちと同じような面持ちで、その年を迎えるための映画だからなのだと思います。 車寅次郎の生き方も、外国人には理解不能でも、日本人には許せてしまう人生なのかもしれません。駅の片隅で「ちょっと、眠たくなってしまったなぁ。」と、一寝入り。

磯野 波平

 歳をとるほどに学びへの欲求が増えてくるのは当たり前なのかもしれない。学問の効用に気がつくことは習得してこそのものだから、若い時勉学に励んでいないワシなぞは、「普通に生活できれば良いのではないのか?」と思っていたのだ。人生を重ねて僅かながら世の中が見えて、修学に長けた人を見ていると、反省するとともに、学ぶ術を知るようになり、その喜びにやっと気がついてしまうのは、このようなジィ様になってからというのは何とも言えん気持ちになります。カツオ君

Thomas More

 本当にそう思えるだろうか。深い悲しみの淵から逃れきれない人もいるのだろう。また、その時以来、神と和解できていない人もいるのだろう。長い人類の中で多くの理不尽を味わい尽くしているのに、いまだ、神と和解できなくても、それに縋って生きる者は多く世界にいるのも事実です。人間は全てが強い意思を貫けているわけではない。自らの弱さを認める事で生き抜かなければならない人たちもいるのです。それらの人がそれぞれを理解、尊重できるとすならば、人は人によって、救われるのかもしれません。

Niccolò Machiavelli

 恐怖からの行動はとてつもなく、トドメのない行動に向かう時がある。なぜなら、恐怖であることは冷静ではないからであり、他人から見ると尋常さを失っていることが明らかだからである。彼には心底信頼できる友人がいないのだ。恐ろしい結果を廻りにも、彼自身にも起こるのかもしれない。これがきっと敬愛に満ちた行動の始まりであれば、お互いの争いではなく、信頼と友好が隣国同士をさらに強く結びつけたのではないだろうか。この際、リーダーは自らを棄てるべき。心は晴れる。

緒方 貞子

  いづれは世界から国境と言うものがなくなる時代が来るのだと信じている。恐らくは遥か彼方の話である。国とか文化、民族、宗教は多様化して行きやがて概念として記憶に或いは新たな文化として、残していけばよいと思います。あぁ、日本という国があって、素晴らしい文化があったんだよ。あなた達はその文化の血統も持っているんだよ。ってね。 今の時代の世界に国境の為に流される涙や、流れる血は誰の為の何の為の血なのだろうか。互いを尊重すべき思いやりこそ、お互いを生かす事なのに。

徳川 家康

 徳川家康の凄いなぁーと思うところは、関ヶ原を中心とする戦乱の時代より、幕府訴権時代のシステム作りにあると思う人は多いと思います。この人はその事はその時考えているのではなく、恐らくは、若い自分からの世界観があって、この政権の礎を築いたのだろうと思います。熟慮とは言っているが、何気なく、空想を現実化していく能力に長けているのか、物事を常に長期間にわたって集中して詰めて行く能力がすごいのだと思います。その様な思考は恐らくは打算を避けやすい戦略に繋がっていくのでしょう。全ては勝ち戦ではなかったことも大いに影響している。

神林 長平

 未だにそんなものに出会ったことは無い。ヒグマと同じかもしれない。これは動物園でも見る事は出来るが、妖精はこうはいかない。昔、ウォルトディズニーと言う人が、ティンカーベルという妖精を画像で表していた。友人がその名をつけた素敵な花屋さんをしたこともあった。今は短い余生でも眺めながら、あの世でその妖精にでもお逢いできればと思います。

野口みずき

 最近、少しづつ女子陸上界でも有力な選手が出て来ていますね。あっ、田中希実さんと廣中璃梨佳さんなどですね。あまり詳しくはないのですが時々テレビ放送で拝見するときはワクワクするような試合をされるので、とても楽しみにしています。高齢者にはできない競技ですが、じっくり楽しむには長距離競技は楽しみです。野口さんや高橋尚子さんにも大変、その努力を楽しませていただき感謝しております。

Elizabeth the Second

 英国王室、時代とともに国民と王室のスタンスが変化していきます。これは日本の皇室にも当然言える事ですが、変わらぬ者はその高い品位にあります。国家の元首にもっと求められるべきは自らの臣民だけではなく、周辺国を含めた世界にいかにその品位を示すことが出来るかだと思います。減算の世界では国家元首の品位に疑問を感じぜざる場面のニュースが多すぎます。Elizabeth the Secondは最期を以て、世界の不条理にあえぐ人々にその品位を示されたのだろうと思います。

by  Ida Bell Wells

この地球の大気の薄さが分かるだろうか?500kmと言われる高さは地球の半径の10分の1以下です。ここで待機を汚すのは、戦争であり、経済的な利潤の追求、そして我々の普段の生活であり、環境の破壊であります。未来のある世代の為にこそ環境保護を語り合う世界でなくてはなりません。守るべきは国家ではありません。本当の世界のリーダー、国家のリーダーがまず考えるべきは、この地球はかけがえのないものであり、全ての人々にその責任が課せられていることを人々に伝える事だと思います。

フョードル・ドストエフスキー

 キリスト教の影響を「旧約聖書」「新約聖書」の熟読により、深く受ける。帝政ロシアにおいて、経済界から、農村に至るまでユダヤ人は嫌悪と傲慢に満ちた目でロシア人を見下していると信じていた。だが、全てのユダヤを否定するものではなく、共栄すらも語っているところこそが「新しい一歩」の意味なのかもしれない。世界が常に新しい一歩を求めるならば、平和に満ちた世界が訪れるのかもしれません。歳をとると「新しい」と言う言葉が眩しく感じてしまう。情けない。

斉の宰相 管仲

 こんな立派な名言を持つ国が、いまじゃあ酷い国家になってしまいました。指導者の教養と言うものは、どこの国家でも同じですが、自国の偉人をよくよく研究する事に尽きるのかもしれません。自国の偉人に恥じる事の無いように振舞いに注意せねばなりませんね。それにしても、不安定な気象が食糧難を興し、それが国家国民の品位を落としかねないのであるならば、国の食糧安全保障は既に待ったなしに時代が来ている。食糧基地北海道の農林水産業の育成に注力しましょう。

by Janis Joplin

 自分も歳を重ねて行くから仕方がないけど、ジャニスはどんどん遠くなって行くし、彼女は歳をとらない若いまま。妥協を重ねるのが人生であることを理解する事には若すぎる死であったのかもしれません。すっかり妥協の権化のような存在になりましたが、辛い人生ではありませんでした。きっとそれはこれからやって来るのでしょう。さぁ、これからは聖人にでもなるように頑張ってみましょうか。まぁ。その前に一息つきましょう。ゆっくりのんびりやっていきますね。

アーサー・ブロック

 「能ある鷹は爪を隠す。」最近あまり使われなくなった言葉のひとつかもしれません。現代において、自らをアピールできなければ、置き去りにされかねない時代なのかもしれません。いつまでも評価を待っていれば自ずと侮られてしまう危うさの中で、上司たちも必死に生きねばならない下克上の時代でもあります。個々の戦略を見定めて、毎日を必死に生きて行くのは大変な事です。先ずは一息つくゆとりも忘れずに。

キュリー夫人

 この先人については皆さまの方がよくご存じだと思います。一つのことに集中する、その鋭角的な探求心に畏敬の念を抱かざろう得ません。そして、当時ロシアの配下にあったポーランドを自らの勉学で独立させたいという希望があったと聞きます。「化学賞」「物理学賞」二つの勲章に輝く世界の科学者の頂点に立つ彼女は最後はその放射能物質による障害にてこの世を去りますが、多くの研究者、女性、人類の希望の光となりました。

北原白秋

 きれいな言葉を使うには、年齢の蓄積が必要なのかもしれません。優しい言葉にはそれはありません。老若男女誰が使っても違和感がありません。きれいな言葉は厳しく聞こえ、優しい言葉はきれいな言葉に聞こえるのかもしれません。私に欠ける優しい言葉、心が無ければ出てくることのない言葉なのかもしれない。

サミュエル・スマイルズ 自助論

 国民と質とは改めて考えてみると、難しい問題ですが、本質は家庭の躾にあるような気がしませんか?人として弁えるべき事柄についてはその家庭に責任があるのかもしれません。もちろん文化的な部分があるとは思いますが、挨拶、感謝、謝意、哀悼、共感、友情、愛情など人間としての最低限のことは民俗宗教、国境を越えて人の心に伝わるものだと思います。あっ、そうだ!それは社会全体にも慈しむべきことかもしれませんね。それがその社会、国を育てる事になるかもしれません。

マニー・パッキャオ

 フィリピンの天才的ボクサーであり、当然であるが、英雄でしょう。日本人ボクシングファンが見ていてもプロフェッショナルを感じ取れる選手ですね。一時大統領選挙に出馬を報じられたこともあったようですが、国民はもっと冷静だったようですね。是非素晴らしいプロの後継者を育てていただく事を強く期待しています。あなたの背負うものは決して軽くはありません。それはフィリピン国民だけではないのですから。

あしたのジョー 矢吹丈

 「燃えたよ……真っ白に……燃え尽きた。」と言って、逝きたいものです。それは人生歩む同胞の中ではあまりに贅沢な事なのでしょうか?そこまで自分を追い詰め切って、辛い思いをするということが、振り返らずまっすぐ前しか見ないで生きて行くことは、他の人から見ると愚かなことかもしれませんが、辛い過去を持つ人間には、唯一の男としての生き方。それを知っているのが、あのあしたのジョー「矢吹丈」なんです。

「銀河鉄道の夜」

 宮沢賢治の文学は口語の方言表現が非常に難しいところが特別な時間空間、世界を生み出している。外国人にこれを研究する人が多いような気がしていますが、私には理解できないが、きっと日本人の本質が表現されているのだと思います。日本人を理解する上では教科書なのかもしれません。まるで関係ない事かもしれませんが、最近では貧富の格差が広がり、女性でもしっかりと経済的にも確立できる人が稀ではなくなりました。かつての貧しいだけの日本には醜い部分もありましたが、助け合うための笑顔の交換もあったような気がしますね。


田部井淳子さん

 とてもピュアな印象の田部井さん。福島県出身で東北の被災地の高校生と富士山に登るのが最後の希望でした。時々その表情を見るときっとこの人の笑顔は多くの山々が創り上げたのだと想像できますね。誰もがその笑顔を得る事は出来ないかもしれないけど、同じ山に登れば同じ感動を得る事が出る。それがきっと登山の醍醐味かもしれません。もう自分も歳です。富士に登ってみたい。そんな緊迫感に時々、襲われるようになりました。

ヤマト艦長 沖田十三

 若いころ、20歳頃だろうか「宇宙戦艦ヤマト」に夢中になって見ていた。今更、年甲斐もなく恥ずかしいかもしれないが、松本零士先生の漫画をTV動画にするのは当時大変だった思います。今の人が見たら笑ってしまうような解像度の低さですが、ストーリーが素晴らしく、非現実の世界なのに引き込まれて行くような人間の使命感に感動していました。恐らく、それが若さな様な気がしています。その若さを利用する奴は、どんな時代でも、どんな奴でも許すことはできません。

Michael Jackson

 20世紀世界のエンターティメントに多くの影響を与え、多くのファンを得たマイケル。異世界の人のように生きて行く姿は誰の追従を許さないほどに魅力的で勢いがあった。短い人生を生き抜いた人なんだろうと思い、自身の老齢の姿を見せる事すら許せなかったのかもしれません。今でも時々、彼のダンスを見ることが出来るが、その切れ切れがきっと永遠に未来の世界まで続いていく事だろう。マイケルよ永遠なれ。

ルパン三世

 そうだね、年取ると、実感としてズッシーンと感じる時がありますね。高齢者にとって退屈と言う事は不幸と言うよりは不健康につながるような気がするし、自分の人生に不誠実なことをしている後ろめたさなどを感じてしまうのは自分だけだろうか?対策は「好奇心」と「探検心」と「実行力」などかしらと思います。とにかく失敗を恐れず、動き回る事。恥かいてもたいして困る歳でもないから大丈夫ですね(^^♪

女優 北林谷栄

 正に女優の冠にふさわしく、常に演じる中に自ら主張表現できる数少ない俳優であるかもしれません。数多くの有名な邦画の監督に重用され、老婆役が主なスタンスでしたが、どこでどんな時、演じても、違和感なく、画像に溶け込んでいく。それが映像の中で彼女が老婆役にもかかわらず、美しく表現されているのは、カメラワークではなく、彼女自身の実力なのだと思います。 ありがとうございます。

サラ・クララ・スミス先生

 北海道札幌の地にライラックの苗木を携え、北海道の女子教育に貢献された数少ないお雇い外国人の女性です。当時の北海道庁官岩村通俊は、スミスの熱心さに動かされ自分の厩舎、馬小屋を提供します。二階を生徒の寄宿舎、一階を教室として授業を始めます。明治20年、これが北星学園の前身、スミス塾でした。新渡戸稲造がこの学校を「北星学園」と命名。「シャイン ライク スターズ、イン ア ダーク ワールド」(世にあった星のように輝く)これが北星の由来です。

スコット・フィッツジェラルド

 NHK「映像の世紀」などのドキュメントに米国の大恐慌時代のコメントなどに登場される方なので、不勉強な自分はジャーナリストなのかと思っていましたが、「華麗なるギャッツビー」などを書かれた作家さんでした。第二次大戦前後の米国に関する時代背景を拝見する為にも一度、読んでみようかと思うのですが、外国文学は時代考証と言うか、国家考証、民族考証、文化考証で息詰まるような気がして、思わずしり込みしてしまいます。左記のドキュメントの中のコメントはその適格性に共感できるのです。

ウォルフガング・ペーターゼン監督

 2022年8月訃報が届きました。最初の出会いが「DAS BOOT」でした。これは後の潜水艦映画のお手本になるような演出で、パクリ系がだいぶありましたね。音楽も素晴らしく、敗戦国ドイツの悲哀を、戦争の愚かさを世界に発信した映画でした。「ネバーエンディング・ストーリー」(84年)「ザ・シークレット・サービス」(93年)、「エアフォース・ワン」(97年)などのヒット作があります。観衆を緊張の世界に引き込む見事な手腕を発揮されました。Vielen Dank.

ラダ・ビノード・パール博士

 戦争に負け国の民は世界に向けて何も語ることはできないのかもしれません。しかし、戦争の悲惨さは伝えて行くべき事。それは世界の平和につながることだからでしょう。多くの世界のアジアの人々にも同じように悲惨な思いをさせてしまったことを日本人は忘れてはいない。同じ場所で同じ涙を流すことは出来なくとも、アジアは平和でなくてはなりません。辛い思いをしたアジア人だからこそ博士の思いを大事にしていきましょう。

佐藤 愛子さん

 佐藤さんに言われるまでもなく、自分でもかなり、子供の頃から強情だなぁ~。と自覚症状はあります。亡き母の困り顔が浮かぶと、思わず、申し訳ない気持ちにいたたまれなくなったものです。いい訳ではありませんが、これがないと、世の中かなりつまらなくなりますよ。これが競り合うと、傍目で見ていても、危なっかしいけどワクワクできます。愛子さんもきっとそう思っていたはずです。間違いありませんよ。

フジコ・ヘミング

 自分のある人は絶対的な強さを持っている。弱すぎる人達は、寄り縋るべきルールに忠実になる。音楽に厳格なドイツのベルリンに生まれるも、だからこそ、破天荒であるべき価値観を大事に生きているのかしら。そしてその反骨精神にもファンは多いですね。自分も、やっとのことこの歳になって「生き切ってやるかぁ~」と思えるようになってきました。自分の人生だもんね。

ウォルト・ディズニー

 子供の頃に海外の漫画でディズニーを知らない者はいませんが、自分の時代は動画、いわゆる映画作品が主体であり、この人は漫画家と言うより映画監督の様な印象が強かったですね。そう、正にテレビの時代の漫画の最先端であり、世界を駆け巡っていたと思います。1928年、小さなネズミ、みっきマウスに出会った貧しい一人の人生が大きく変わった時だったんですね。その年に自分の母親が生まれた年でもあったのです。

幕末の数学者 小野友五郎

 この方は昔から旗本であり、海軍奉行もした小栗上野介と共に日米和親条約の使者の介添えとして太平洋を渡っている。航海術は数学の世界で、小野友五郎の和式の算術は当時の世界の航海者にも十分通じる技術を持っていたようです。小栗上野介自身も日米の通貨の問題を金の含有量を含め、米国造幣局の役人と十分に渡り合っていた。惜しい逸材であったと思います。日本を簡単には植民地に出来ないと感じさせる武器があった。それが知性であり、学問でした。

北の国から 菅原文太

  北の国からの出演者がどんどに無くなるのは寂しい事ですね。わずかな時間だけの出演でも、大きなインパクトを残す演技があります。脚本なのか?演技なのか?分かりませんが、このような質問には突き刺さるような厳しさがありますね。人には「これだよ!」と答えられない哲学の様な問答だと思います。常日頃から軽々しく言葉を使っている身にとっては、たいへん居心地が悪い。文太さん、そっちはどうですか?少しづつ賑やかになって来ましたか?

ZARD 坂井泉水

 突然、目の前からがいなくなるって、本当にあるんだ。とその時、思ったけど、歳を重ねるたびにそういう事に遭遇する事が稀なことではないのだと分かり始めた。一期一会と言う言葉を抱えて大事な思いで生きて行くそれが標となります。更に歳を重ねると人と会う機会も減りますね。今日が最後。今で最後。そんな感じで心で毎回お別れを言いますね。

レオナルド・ダビンチ

 ダビンチさんは相当にネコ大好きだったようですね。作品にはあまり出てきてはいませんが、スケッチはあるようですね。現代の「となりのトトロ」なんか見てしまうと笑顔が想像できそうですね。自分も将来仕事を引退したら、ネコでも飼おうかなと思ったりするときもありますが、性格がネコなので、「めんどいのは、イヤじゃ!」となる自分の性格が怖くて、きっと決断できない。ダビンチさんは、実直で苦を苦に思わない人ですもんね。

「人斬り抜刀斎」緋村剣心

 佐藤健演じる「人斬り抜刀斎」『るろうに剣心』はチャンバラ大好き世代にはたまらん放送でした。実際は武士が街頭で抜刀しただけでも切腹を召される時代であり、現実の刀剣を使った果し合いなど、多くのものは経験もしないで人生を終えるほどに安泰な徳川政権時代。人を斬らねばならないとは仇討、暗殺、果し合いなど限られた場合のみであろう。新政府軍と徳川派が戦う戊辰戦争こそが最後の刀剣を交わす戦いとなり、そこで闘うものは新しい日本を信じていたのだと思います。

黒柳 徹子さん

 黒柳さんって自分が子供の頃からいるから、歳は其れなりにお取りになっているので、気がついてはいるのですが、昔の動画を見るとびっくりしますよね。「自分を棚に上げて、よく言うよ。」とは仕方がありません。でもこの人の凄いなぁと思うのは、むかしからずーっと、 性格が変わらないことだと思う。いろいろ、大変なこともあったのだと思うけど、誰にでも同じ人当りで、笑顔が絶えない。とても素敵に歳をとられたのは偶然ではあり得ませんね。

オプラ・ウィンフリー

 この人は米国の女優で、自分の番組を持つエンターティナーらしいのですが、私はあまり知りません。でもこの言葉は老若男女、国籍民族を問わず、誰もが共感できる言葉だと思いました。歳を取り続けると常に自分の夢を剥ぎ取られているような気がしていますが、それはきっと、勘違いで、往生の間際まで人は夢に生きなければならない生き物であるとこの言葉は教えてくれます。

寺田 寅彦

 東京帝国大学の物理学者であり、夏目漱石の系統の随筆家でもあります。「天災は忘れた頃に来る」という言葉を言い出したのは寺田寅彦であるとも言われているそうであります。天は二物を与えるを実践された人だわ。コーヒーとタバコを愛し、英語、フランス語、ドイツ語を語れる。ある意味天才。口癖が、「ねぇ、不思議だと思いませんか?」らしいです。いきなり、自分のことではありますが、「知らない」より「忘れた」が確実に肥大化してきている。

津田 梅子さん

 米国へ留学し、帰国し津田塾大学を創設した梅子さん。1871年(明治4年) まだ、10歳にも満たない彼女は父親の願いもあって、米国行きの船に乗り、日本語を忘れて11年後に帰ってくる。この女子留学は当時北海道開拓の為に米国に渡った黒田清隆が米国婦人の社会的地位の高さに驚かされ、我が国の女性も格あるべきと言う思いで開拓使の予算をもって実施した留学制度であり、見事に1900年女子大が創設となって結実しました。もう少しするとこの人も5000円札になるのか。

馬良季常(ばりょう・きじょう)

 馬氏の五常、白眉最も良しとされ、劉備玄徳の策士の一人、「泣いて馬謖を斬る」の馬謖の兄でもある。文才に長けた人であり、劉備が馬良を呉の孫権へ紹介する為に本人に書かせた手紙の内容の一部が左記の一文であります。白眉とは眉に白毛が多かったとも言われ、のちに白眉は優秀な人材を表す言葉ともなっています。ワシは優秀でもないのに日々、眉に白きものが浮くようになりつつあります。

山崎 豊子

 大地の子、白い巨塔、沈まぬ太陽、華麗なる一族、不毛地帯、約束の海などいろいろありますよね。司馬遼太郎と同じくジャーナリストの書く小説は徹底的な現場主義的なリアリズムで構築されているから読み手が安心して読むことが出来ます。「大地の子」が中国共産党の認めるところとなるのは、真実への追及をその筆跡に見ることが出来たからかもしれません。隣国との多くの過去のトラブルは徹底した当事国の賢明な学問の道を歩んでいる人たちが解決してくれるかもしれません。それは如何なる捻くれた論拠も打ち破る力がそこにあるから。

薩摩 小松帯刀

  薩摩で若干28歳で島津久光のもと江戸、国家老となった英才。幕末の藩の運営を託され、西郷隆盛、大久保利通、反外では坂本龍馬とも深く関わっていく。戦歴は多き掲げられることは無くとも幕府、京都、英国と渡り合う姿は輝いていただろう。その輝きは明治3年、わずか36歳で急逝してしまう。激動の輝かしき明治維新の中、中央に評価もされなくとも、時代を超えて現代に輝く一人であることは間違いありません。

日野原重明

 2017年にお亡くなりになるまで、まさにこの言葉を実践されていたお姿は、そこに生きる力を見せるだけで、患者さんの心を支えていたのかもしれません。生きる事で人に勇気を与えるには、そこに一生懸命でなければなりません。あらゆるものに対して真剣でなければなりません。それをひと様にも自分自身にも見せ続けなければなりません。大変な人生です。お疲れさまでしたね。

綾戸智恵さん

  この言葉って当たり前だけど、なんかつらく聞こえる時もあるし、励まされるような気もする。常に前しか見ないように生きていると辛く感じるのかもしれない。振り返ってここにいる事が決して一人の力ではないことも痛いほどわかる。これからは誰かの明日の為に生きるのも悪くないかもしれません。綾戸さん介護お疲れさまでした。これからの方は一人で背負わず、素直に助けを求めてな。

ゴールデンカムイ 白石

  明治期の開拓使とアイヌたちの物語を独特の解釈で表現して行く力強さに思わず圧倒されてみていました。彼らが必死で護ったアイヌの土地を今度は中国に和人が奪われて行くようです。素手の本道の面積の10%近くを中共に占有されています。ひょっとすると他の外国人名でもっと多くの土地が買い占められ、いつの日か地元中国人民を守る為、中国軍が侵攻、駐屯される時代が来るかもしれません。お花畑独占の日本より外国優先の考え方からそろそろ卒業願います。留年は認めません!

火盗改頭取 長谷川平蔵

  池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」中村吉右衛門演じる長谷川平蔵のここ一番の手下への言葉。何事も気合であるという事は人生において少ない事ではない。その時どんなに冷静であろうとも、それすら打ち払って、行かねばならない時がある。東欧のかの地で祖国のため家族の為に戦い続けている人たちがいる。毎日の一瞬一瞬がこの言葉に共通した思いなのだと思うと、そこに思いを至らせる者達は世界が裁かなくとも、神が必ず裁いて下さるだろう。

茨木のり子

正直よくわからない詩人、エッセイスト。戦後の中島みゆきに近い詩風で谷川俊太郎の友人となれば、少しは関心も出てくるのではないかなとも思うが、1926年生まれうちの母親と近く、自我の強さがありそうな気もする。今度機会があればしっかりと挑戦してみようかと思います。だが、市と言うものは難解で手を焼く事には気が引ける。

宮沢 賢治

  宮沢賢治のファンはとても多くて、老若男女だけではなく、外国人のファンも多いのに驚かされる。其の素養と言うものが人を惹きつけて止まないのかもしれません。博物館の鉱物の展示をしていた学生さんが鉱物学者としても有名であることを教えられました。彼の書き物の中にも多くの鉱物の専門用語が登場して、私などシロウトには???。それでも、良いかと思ってしまうほどの魅力がそこに現れてる作品が多い。東北、日本の財産ですね。

司馬遼太郎

 司馬遼太郎さんの作品は出身が新聞記者という事もあり、リアリズムの文学であり、読み手が楽に読めるように書かれており、時々脱線するところなどもとても人間的だなといつも思いながら読ませていただきました。司馬史観とも言われる思考は多くの共感者やそうではない人たちを呼び集めるほどに魅力ある回路だなと思っています。今の時代をいかに読めるのか、聞いてみたかったですね。

天璋院篤姫様

  天璋院は慶喜が大嫌い。薩摩島津家より嫁いで、覚悟を決めて、徳川の士となる決意を以って嫁いだ篤姫にとって、徳川より先ずは宮家を重んずる水戸学に染まり切った征夷大将軍などに何の価値があるのか。とでも思っていたのかもしれません。先ずは「御家第一」が無くて、徳川三百有余年は有り得ないことである。公武合体など武家としてコシヌケとでも私も思いたい。慶喜がいなければ、武家文化は護られ、日本の近代化も100年遅れ、列強大国の植民地にでもなっていたかもしれませんね。

千代の富士 貢

  稀代の名横綱 千代の富士は誰もがその相撲の厳しさを認めるところだと思います。横綱たる者は完全でなければならな。これは相撲の哲学なのかもしれません。負けること、休場する、人としての道を忘れ、自らよりも相撲界全体に対する責任を負う。これらのハードルの高さはそのまま「国技」と言われるものとなる。横綱を目指すとは崖っぷちの上に立つ頂点を目指すことだとすれば、男として進むべき大きな道のひとつと言える。千代の富士、いい男だったね~(^^♪

by Angela Dorothea Merkel

政治家が一番解っていながら、一番身につかないものかもしれません。世界が認める政治家とは政治家同士が認め合う事ではなく、他国の市民でもその人の言う事が十分に理解できる事だろうと思います。自由だ、人権だ、平等だ、平和だ。と誰もが叫ぶが、その本質について語り合うべき友がいない。政治家は先ず、その語り合うべき信頼のおける友を得る事が一番重要な事なのかもしれない。孤独の中からの最善はひょっとすると世界からは独裁という評価を得るかもしれないからである。

古今亭志ん生さん

  貧乏は味わいたくなくても必然とし味わってしまいますね。これっばかりは食わず嫌いというわけにはいきません。生まれつき口に放り込まれたおしゃぶりみたいなもんです。落語家さんというのは昔はいくら稼いでいても、長屋に住んで庶民の生活をしていたとお聞きしたことがありますが、全てが全てではないでしょうね。親が有名な落語家で跡継ぎでやってる人ではそもそも貧乏という事が理解できないかもしれませんな。確かにそれでも、貧乏はするもんじゃぁありやせんな。

女王の教室 阿久津真矢

  日本人にとっては他国の戦争は他人事であり、自分のみには起こり得ぬものらしいですね。世界的な政情不安、エネルギー食糧不足、利己主義など、さまざまな危険因子が世界にあふれかえる時代となってきています。日本の国はここまで立派に耐え忍んできていると思います。それは国内に対しての方が大きいかもしれません。なぜなら、故安倍晋三元総理に対する評価は海外の方が大きくて、日本政府は国葬としなくてはならなくなりました。

李登輝 総統

 故安倍晋三が総理の座を退いた頃、李登輝総統が彼を励ました言葉です。京大に学んだ李登輝は「22歳までは完全に日本人だった。」と語るほどに、親日家であり、安部も常に台湾の安全保障に気配りを忘れなかった。外交が如何にあるべきか、極東の安全保障をいかに構築すべきかを彼らは私たちに示して逝かれました。それが一つの大きな財産であることは間違いありません。

幸田 文さん

  幸田文さんは露伴さんの娘さんで随筆家でしたね。昔よく父君のお話をされて、たいへん厳しい躾を頂いたと聞いていまして、お掃除についても一つ一つ細かく教えられたと仰っていらして、自分も明治の祖父母に育てられた時期があって、昔の人は非常に細かいと言うよりは、丁寧でありマテなんだと思います。そのおかげで、物事は色々な事があって、一通りは出来ても、本来はこうあるべきであるという事を知っていることは大事なことだと今になって知らされます。楽しみも得ることも本質を忘れず楽しみましょう。

娘子隊 中野竹子

 会津藩士中野平内の娘で、戊辰時優子16歳。竹子22歳と、母孝子44歳と共に(後に娘子隊と呼ばれる)涙橋にて戦い、姉竹子は戦死。優子は母と共に入城し、籠城戦に活躍。会津の武士に足する戒律は厳しく、戊辰の戦で婦女子が戦場で戦うことを許さなかった。だが女子の中には「お許しがなければこの場を借りて自害する」などと言い出す者もあり、やむなく「あす古屋作左衛門の率いる衝鋒隊(旧幕府歩兵)が若松へ向って進撃するので、それに従軍してもよい」と承認された。

by John Fitzgerald Kennedy

安倍晋三元総理が街頭演説中に撃たれるとの報が入って、犯人は元自衛官とするならば、武器を扱ってきた武人としてはあるまじき行為である。武人には武器持たぬ者に銃口を向けるなど、防衛省はどのような隊員教育をしていたのか理解に苦しむ。この様な人格を生み出す土壌があるならば、国民は決して自衛隊を国民と国家の為の存在とは認めないだろう。テロを容認するなら自衛隊幹部は全員総辞職すべきではないか。愛国者と国家主義者とは全く違うものであることを改めて認識させられる事案である。彼のご冥福を祈る。

Miranda Priestly (Meryl Streep)

 いよいよ参議院選挙の投票日が近くなりましたね。周りに捕らわれなく自らのお考えで投票されますよう願いたいものです。「組織票」など、共産圏でも聞かないような用語が報道で流れますと、この国の主権はどこに存在するのか理解に苦しみます。日本が本当に民主国家になることを次の世代に渡していくためにも老僕は暑い中投票に参ります。遅れましたが「プラダを着た悪魔」とてもおしゃれで粋な映画でしたね。あらゆる意味でセンスあふれる映画を見に行きたいですね。

by Dame Ellen MacArthur

 英国の夢見る少女が2004年にノンストップの世界一周単独航海で最速を成し遂げます。”Dame”は女性に対する爵位の称号。ヨットの為に学校をやめてしまいますが、単独航海中に船内のやりくりにより、循環式経済に目覚め、その研究に没頭し「エレン・マッカーサー財団」を2010年に設立します。循環式経済こそが彼女が極限状態の中で見続けた美しい自然を守ることに気がついたからなのだそうです。 尊敬しますエレンさん

江頭2:50(江頭 秀晴)

 「お前に一言、物申すーーー!」で登場してきた不思議な芸人さん。見た目やアクションで眉を顰める人もいたのかもしれませんが、その後の彼の活動を見るとその人柄の素晴らしいことが分かりました。デビュー時売れていた芸人仲間が彼をゲスト出演させていたことが理解できました。一時は「たけし軍団」へという事も考えたようですが、親方などに頼らず、一本独鈷でここまで頑張ってこられた姿見てると、最低の男ではなく、最高の男だと思いますね。

新島 襄

 同志社大学の創始者であり、「八重の桜」山本八重の夫である。札幌農学校のクラーク先生が現職学長を務めていたマサチューセッツ農科大学を理事会の反対を押し切って、わずか1年未満の滞在で多くの影響を残した熱意はかつてアマースト大学で教師として襄を教えた時の印象の強さによると言われています。アマーストでは新島の肖像が優秀な卒業生として今も飾られているそうです。信仰と教育の人ですね。

Мики́та Сергі́йович Хрущо́в

  ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフは、旧ソ連の政治家であり最高指導者書記長であった。彼はロシア人ではなく、ウクライナの貧しい鉱夫の子であり、農奴の孫ある。ともにキューバ危機を回避したJFKの弟ロバートケネディーの回想録に「(ケネディ大統領は)、なにが自国の利益で、なにが人類の利益かを、適切に判断したフルシチョフを尊敬した。」いくら冷戦にあっても指導者とは世界の平和を常に心の片隅に継ようく握りしめている理性は存在していた。

by Robert Koch

ロベルト・コッフォはドイツの細菌学者でノーベル医学賞・生理学賞受賞。コレラ菌結核菌の発見など人類に対する功績は偉大です。左記の言葉も、ドイツ人研究家らしく高貴であり、自らに限りなく厳しい。日本の北里柴三郎先生もその研究所で学んだそうです。昨今のウィルスが多くの世界の人々を苦しめる中、日々の地道な基礎研究が現代の救世主を生み出している。「一種類の黴菌だけが一つのきまった病気を引き起す。各々の病気はすべてそれ自身のきまった微生物をもっているのだ。私はそれを知っている。」とも、言っている。

与謝野晶子さん

 与謝野晶子さんは困ったな、「乱れ髪」も歌も読んだことがありません。教科書で食おう代の出兵に「君、死に給うなかれ」と呼んだ反戦の思想家という印象しかありません。明治の頃の女性の教育に関する境遇は自分の母を見ればわかるほどです。「女子に学問は不要。」これが男社会の常識でした。でも明治政府は開拓には女子の教育は確実に必要であるとの配慮で、津田梅子などを米国に留学させたりしている。人の思いは様々ですね。

BY  George S. Patton

大昔の米陸軍の猛将で過激な言動で更迭されますね。マッカーサー将軍も朝鮮戦争当時、中国内部まで進軍しようとしたように、パットンもソ連へ侵攻を目論むも更迭されます。似ていますね。この言葉は問題はあるのかもしれませんが、現代人における「言われたことだけやれば良い。」とは全く違う次元の思考です。積極性はともすれば否定されがちですが、そこに危険が迫っている時、自らが厳しい判断をしなければならない時が必ず訪れます。私自身の人生でも同じです。

柴 五郎

 戊辰戦争で多くの女子家族が自刃し、それでも会津出身者として初めて陸軍大将となった人物。中国義和団事件ではその鎮圧に駐留外国部隊を纏め、当時総領事国英国を感心させ、のちに日英同盟の締結への信頼を築いた。中国における彼の中国観こそがその大きな石礎となっている。これからも隣国であることに大きな変化ない以上は、防衛外交、安全保障を踏まえつつ五郎の言う鉄砲だけでないものを探していかなければならないのかもしれません。

市川 房江さん

 参議院議員選挙が公示されましたが、かつて日本の女性参政権を求めて活動された市川房江さんという参議院議員がおられました。第一回の女性参加の議員選挙ではGHQに阻まれ、第3回では全国トップ当選された女性政治家です。このようなスケール感を見るにつけて、現在の女性議員は自らを守るうえで「権力に眠るな!」と言われそうな状態ではないでしょうか?私は女性は男性よりはるかに政治家に向いていると思っています。残念ながらこの方の選挙部長も惨憺たる方でしたね。先人のご苦労を思い起こしぜひ頑張って頂きたいですね。

尚泰王(琉球国王)

 沖縄はこの時期、梅雨が明けたようですね。6月23日が来ると沖縄を思い出すような報道がありますが、偉大な歴史を持つ沖縄琉球王国の文化は日本にとってもその美しい自然と共に貴重な財産であることを忘れてはなりません。そして、真の意味で歴史的に沖縄を守り切れなかったことを振り返り、あらゆる意味で、沖縄復興を完遂する事が日本御本当の役目なのだと認識したいと思います。北海道開拓は沖縄と共に。

山岡 鉄舟

 

 幕末の人であり、江戸城無血開城の真の立役者である。慶喜の存命を嘆願します。幕臣としては出自は勝阿波と同じく身分は低いが、武士としては禅を修め、北辰一刀流を究め一級の人。維新後は西郷の勧めにて皇居に勤めます。最期の山岡鉄舟は皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命したと言われています。まだ、読んでないので、この人の関する本を探します。

手塚 治虫

  自分のような年頃の人間には「神様」にかなり近い存在でしたね。昔の漫画の多くは勧善懲悪であり、大人には「くだらない」と思えても、子供には子供なりの道義や責任を学ぶ教本のような存在でしたね。時々描く社会の不条理にも子供心に頷けるように理解が出来ていたかもしれません。今の時代には不用な漫画とは思いませんが、昔の漫画として、今の子供たちに今の老人の子供時代の思いを知ってもらえたら手塚治虫先生と共に喜びたいですね。

二宮 尊徳

 「報徳思想」で知られる尊徳先生は、自分達の子供の頃はあちこちの学校に必ずその二宮金次郎として薪を背負って本を読みながら歩く銅像があったような気がします。自分の小学校の母校でも校舎の裏側に追いやられているのを見たことがあります。今時は鵜っとしい存在になってしまったのだろうか。開拓精神とかも過去の産物になってしまったようだけど、そのおかげで今がることを教育していくのも学校の仕事だと思うのですがね。 あらま、シロウトが余計な事でしたか。

高橋 是清

 昭和13年の二二六事件にて軍費削減に怒れる陸軍青年将校たちによって暗殺された日本の名相の一人。不利な戦いであった日露戦争の戦費獲得に奔走した日本の救世主かも知れません。この言葉と似た言葉を発しているのが確か、織田信長だったような気がします。いづれも自らが動かざれば何事も始まらぬという事なのでしょうか。今日もその言葉を胸に老僕に鞭打ちつつ、明るく歩いて行きましょう。

BY Ayrton Senna da Silva

 1996年サンマリノグランプリで突然の事故で亡くなる。彼は当時の最高のドライバーであり、最高の車でしかも単独事故である。誰しもが信じられない。未だに原因不明。リアルに夜間のテレビ視聴していた自分にも大きなショックだったことを今でも覚えている。長い事F1ファンとして多くのレースを見て、多くのアクシデントを目の当たりにしてきて、少なからざる事故の死傷者を見て来たが、そこに一番遠い位置にいたアイルトン・セナ。 人生の永久欠番。

BY HO-CHI MINH

 国の指導者が国民に語り掛ける最初の言葉。ベトナムではホーチミンが必ず語り掛けたそうです。自分の若い時の衝撃はあの米国が南ベトナムの当時の南端の都市サイゴンから追い出されたシーンでした。今思えば、ナパーム弾、無差別爆撃、枯葉剤など非人道的戦略により多年に渡りベトナム人を苦しめたが全て押し返した。太平洋戦争時、日本はベトナムから大量のコメを略奪した。230万人のベトナム人が飢え死にした。それに打ち勝ってきた人たちに敵う国家は覚悟しなければならない。日本も格あるべき。

谷川俊太郎

 この人の詩も良く子供の頃教科書に載っていました。若々しい詩なんだな、っと思っていたような気がします。なんか生命がはじけるような感じがしてました。この左の言葉は達観的なイメージで、ある意味で当たっているのかもしれません。隣国同士もあまり深く付き合うとどこの世界も同じように付き合いの深さにによる愛憎が醜くなる時もあるのでしょうね。日本にはほどほどにと言う処世術もあるようです。大丈夫ですよね。

弘法大師空海

 「弘法筆を選ばず。」は誤りだそうです。筆まめな方は良い筆をお選びなる。という事だそうです。実際にそうなのかもしれません。書く内容に集中していて、ひっかかる筆記具など使えませんよね(^^♪そもそも、最初のこの言葉一人称ではないし、自らの言葉ではないのは明らかでしたね。右記の意味は「能書(のうしょ)は必(かなら)ず好筆(こうひつ)を用(もち)いる。 」だそうです。漢詩の時代ですな。

BY John Paul II

 日本人にも大変印象深いカソリックの教皇様でしたね。平和に対する世界に向けての活動が素晴らしく。母国がポーランドという事も平和に対する執着の強さが見えます。日本の政治家に最も欠けているところなのかもしれません。自らの平和は其れを掲げるだけではいけません。掲げて、相手に会いに行かなければ決して達成できない。パウロ2世教皇は宗教やイデオロギーを超えて人々に逢いに行かれた。世界に対する功績は計り知れないと思います。

By Annelies Marie Frank

 アンネ・フランクはナチスドイツによって虐げられたユダヤの女の子として、自分が子供の頃教科書に掲載されていましたが、あれから随分と時代は過ぎ去っていったが、現代もその事実は伝え続けられているのだろうか。そして今、東欧に同じく、この時代のアンネは生きているのだろう。いくら権力の頂点にいても何も学ぶ力のない世界の指導者は今だ、絶えてはいない。アンネたちは今日も小屋裏部屋の窓から哀しい瞳で世界を見続けている。

志村けん

 この方については皆さんの方がよくご存じで、語ることは少ない。なるほど秘訣が語れるほどにモテたんでしょうな。まぁ、この方があの笑顔で、傍で話を聞いてくれるだけで、女性だけでなくても安心感が湧き出来るような人でしたね。シリアスな演技ももう少し見て見たかった。そんな魅力的な俳優さんでもありましたね。

FROM Scent of a Woman

 アル・パチーノ演じる自殺志願の盲目の退役軍人フランク中佐の愛飲「Jack Daniel’s」をこう呼んでいる。名前などに意味は無い。本質さえ間違えなければそれで良い。「足が絡まっても踊り続ければ大丈夫」というタンゴを楽しみ、若い付き添いの甥っ子を徹底的に救い抜く。そのことで、彼は再び普段の日常に帰って行くことが出来る。ほんの少しだけ将来への不安を残しながら終焉を迎える。こんな映画がまた見てみたい。

田中 角栄

 この人に関しては色々な論評があるようですが、自分は人物としては嫌いではありません。恐らくは、先ずは、人に逢っても無視をするような人ではないと思いますし、不機嫌を敢えて表現するタイプではないと思います。それが彼を政治家にして、総理への道へ進ませたのだと思います。ある意味現代の政治家に比べればはるかに国士であったように思えます。いつまでも忘れ難き政治の人でしょうか。

Meryl Streep

 「マディソン郡の橋」、「めぐりあう時間たち」など良質の作品に多数出演。「プラダを着た悪魔」の鬼上司ミランダ役で強烈な存在感を見せつけ、元々持ち合わせた才能が自然とあふれ出てくるような女優であり、米国を代表できる知性溢れる女性ではないだろうか。女性に対する好みは色々あるとは思いますが、どのような悪女を演じようともこの人にはあまり反感を覚える事がないのは不思議な人ですね。

John Lennon

 あまり、自分のような凡人にはよくわからない言葉かもしれません。ある程度極めて、達観した人が辿る境地なのかもしれません。やり尽くしてそこに到達すれば、過去に意味がなく、これから向かう自分にこそ価値があるんだと言いたのだろうか。ただただ,歳を重ねてきた自分には励ましとして受け止めておくことにしましょう。ポジティブこそが我が信条。

松下幸之助

この方が今生きていたら、今の経営者や政治家たちの働き方改革など軽く笑い飛ばされるだろうと思います。今のPANASONICは知りませんが、簡単に経営者にとって有利な短絡的な米国経済理論を採用し、高度経済期を支えた日本型経済理論を捨て去った結果が今のこの見すぼらしい消費市場経済を生み出してしまった。幸之助さんが「日本の年功序列による経営は間違っていない。」というのは、働く人たちが安心できる将来が見えるから、経済は発展し続けるんだよ。と、教えたことを忘れた結果でしかないのではないだろうか。

Vincent Willem van Gogh

 生存中は絵がまるで売れないまま亡くなったゴッホさん、最後まで自分の才能を信じていて、それに共感したのが後世の人達って、少し哀しすぎませんか。そういう価値を発掘する人たちがきっと、どの時代にもおられるのでしょう。人生が負け戦と思うこと自体が哀しい。でもきっと、人としての彼を愛した人がいたのなら、それだけで幸せ。哀しみを埋めるものは愛だ。

幕末の賢吏 小栗上野介

「幕府の評議には『可成丈なるべくだけ』の字を厳禁すべし。」如何なる人物が徳川慶喜を演じようとも、この人を思う時、「無念」という思いに至ってしまう。米国へ出向き日本の金銀交換レートの理不尽を論理的に指摘し、横須賀に日本初のドックを作り、神戸に当時外国企業に交易を奪い取られぬように神戸商社を興す。これほどの人物をむざむざ官軍な卑劣な刃の基に送るとは。司馬遼太郎が「明治の父」と呼ぶほどにのちに新生明治政府のインフラを構築した。榎本武揚と共に幕臣に有能な旗本は多く、無能な将軍は少なくない。

By Audrey Hepburn

街の中を歩いていると、いまだに彼女のポスターが使われていて、思わず「はっ!」っとさせられる存在感は凄いなぁと感じるのは自分がそのような世代だからだけではなくそこにある生き方のオーラなのかもしれません。人生を楽しむことはまず、自分から何事にも向かっていかなければなりません。常にそのような自分になっていなければなりません。晩年ユニセフ活動をされていた彼女は、自分には素晴らしく、美しい先輩です。

瀬戸内寂聴さん

  アラフィフとも言う年齢層、今高齢者の自分が、その時は気がつかなかったが、恐らく、まだ、精神的にも身体的にも何でもできる頃だと思いますね。自分で自分を年寄り扱いすべきではない。「40,50は鼻たれ小僧!」という言葉は使ったことは無いが、今思うと懐かしく、羨ましい時代だったような気がしています。

がんばれ! 鼻たれ小僧!!!

樹木希林さん

『Dans un jardin qu’on dirait éternel / 日々是好日(にちにちこれこうじつ)rì rì shì haǒ rì』フランス公開された茶道の世界を現代に写した映画らしいが、これは中国の仏僧雲門文偃 Yún mén wén yǎnの有名な言葉。単純だけど、誰もが心に響く。かつての中国の文化は深い。大革命など知ったことではない。世界の全ての人がこれを毎日思う日が来ることを心より願う。

吉田 茂

 これほどに存在感があり、政治家らしい政治家は少なくなったらしい。恐らく週刊誌など一瞥も無いのではないだろうか。自らがあればこその日本の指導者なりうることを示した人かもしれません。自民党の麻生副総理はお孫さんですか?その辺は、世襲がまかり通ることにはいささか閉口しますがね。

by Michael Corleon

フランシスコッポラ監督の「ゴッドファーザー」の名セリフのひとつですね。奥が深すぎて、自分には難しすぎるから、映画のシーンにおいてしか未だに意味がつかめない。「Friends and money – oil and water.(友情と金は、水と油だ)」という言葉もありました。この映画、何度見ても自分にとっては価値があり、新しい発見がある。人生の指針になっています。音楽ファッション全てに素晴らしい。反社的なものを礼賛はしていませんよ。

Margaret Hilda Thatcher

サッチャーさん【鉄の女】のファーストネームはマーガレット、マーガレット王女など、英国では愛される花なのですね。私もベランダに毎年植えますが、春から秋まで年中咲いて、飽きの来ない丈夫な草花でお気に入りです。色合いもいろいろあってそれぞれに皆様にも好みの違いがあり、ある意味、しっかりとした個性があることも女性の名前としての人気なのかもしれません。

by Helen Adams Keller

 この方のことは既に伝説の世界の話になっているのかもしれません。サリバン先生という人も素晴らしい教育者ですが、彼女自身にきっとその才能がなければ、そのような開花は見ることが出来なかったような気がします。二人の才能の出会いこそが素晴らしい化学反応を起こし世界に奇跡を見せたのだろうと思います。

Saint-Exupéry 

この様な作家が苦手かもしれません。読みたくもなく、読む自分を想像するとおぞましい。

James Clerk Maxwell

「マクスウェルの知的な悪魔」(Maxwell’s intelligent demon)電磁気学の最も偉大な学者の一人と言われているが、自分には呼んでもさっぱり理解できない。優秀な理論でも基礎知識がなければ、その人にとって価値は無く、その人の価値も無い。勉強しなくてはいけないと自らを戒めよう。

William Smith Clark

わずか8か月の滞在で、札幌農学校の教頭としての建学精神と、キリスト教による人間教育、そして、北海道の農業発展のための素地造りに奔走したお雇い外国人の代表格です。今の北海道大学にもいまだそのリベラルであり学び舎としての開放性は少しも衰退する事はありません。常に子供たちの集うキャンパスをいつも先生はその道端から覗いています。

Sir Winston Leonard Spencer Churchill

1939年9月1日、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦では、ドイツの攻勢に劣勢に立たされたチャーチルは、太平洋で日本が米国に戦争を仕掛けるよう仕向ける「迂回作戦」を取った。ABCD包囲網の構築で経済封鎖された日本は41年12月8日、真珠湾を攻撃、マレー半島に上陸し、69日後の42年2月15日、英領シンガポールを陥落させた。と、歴史は語っています。 現在にチャーチルは何を語るか。

十八世 中村勘三郎

十七世と共に多くのファンに愛された十八世の急逝は、その芸のワザの極みに寄り添いたい歌舞伎愛好者でなくとも実に辛いものがあったのだろうと思います。この親子は人の心をつかむ術を弁えている上では天才かもしれません。被災地へのボランティア行動など社会人としても立派。自らも斯くありたい

by Marilyn Monroe

Women who seek to be equal with men lack ambition.
男性と平等でありたいと求めるような女性には、野心が足りていないわ。

―平等以上を目指す心持ちで生きるべきだと語って。 何よりもこの人の歌声には女性として男心を揺さぶるものがある。上手い下手は別としてだが。 すまん!

「兵法伝書」柳生宗矩

徳川将軍家御流儀「柳生新陰流」伊達政宗、鍋島勝茂、鍋島元茂、毛利秀就などとも親交ありました。最近時代劇でも剣豪者はあまりはやらんから、ちと、つまらなくなりました。悪役をバッタバッタと切り倒していく爽快さは日本人特有の感覚だったのかもしれませんね。

Friedrich von Schiller

走れメロスは、太宰治の短編小説です。処刑されるのを承知の上で友情を守ったメロスが、人の心を信じられない王に信頼することの尊さを悟らせる物語。作品の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、ギリシャ神話とドイツの「シルレル」、シラーの詩をもとに創作した事が明らかにされていると言われているそうです。

姓は車、名は寅次郎

「どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは  目方で男が売れるなら こんな苦労もこんな苦労もかけまいに かけまいに 男と言うもの辛い者、顔で笑って、腹で泣く、腹で泣く」

これが主題歌の二番の歌詞だが、これが好きだね。

 Salvador Dalí

スペインは芸術が生まれる土地なのか?芸術を育む経済力はパリには敵わないが、ダリ、ガウディ、ピカソ、モネ、フラメンコ。お酒も美味しいし、料理も何となく日本人の口に合う。何度でも訪れたい国のひとつでもあります。ダリこそは、決して油断のできない天才である。作品や言動に常に注目が集まるのは、恐らく彼の奥様との緊張感がそれを演出していると聞いてます。

Mother Teresa

マザーテレサの言葉に誰もが頷く。

「If you judge people ,you have no time to love them .」 (人を批判していると、人を愛する時間がなくなりますよ。)

「There is more hungerfor love and appreciationin this world than for bread .」 (この世界には、パンよりも愛や思いやりに飢えてる人がたくさんいるのです。)

伊達政宗

幕末の戊辰戦争、奥州越列藩同盟の盟主伊達藩は佐幕として新政府軍へと立ち向かおうとする。それは老齢の伊達政宗と、若き徳川家光の強い絆があればこそなのです。家康は若き政宗を「伊達の子わっぱ!」と呼び、傍若無人な振る舞いを許した。それは奥州を束ねる力を信じていたからであり、それを感じた政宗は家光に強い忠誠を示したからであったらしい。

夏目漱石

さすがに文学者だから、名言は多いね。今時の世界情勢なら、「ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足したものは一人もいない。」とか、どうでしょうか?過激な「自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である。」まぁ、思考の深みなのでしょうか。東京大学物理学教室にも漱石の影響は大きく、寺田寅彦や北大へ行った中谷宇吉郎もその系列の物理学者で随筆家だそうです。点は二物を与えても何の不思議があるわけではない。

Jesus Christ

イエス様の「子供たちを解放させよ」という言葉が告げてられています。キリストはそのようにおっしゃって子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福されたのです。

子供は決して半人前ではありません。人格を持ち尊厳のある一人の人です。子どもの権利条約、世界人権宣言に、そして主イエスのこの一句に端を発しています。

山梨英和こども園長 大木正人様のお話から

昭憲皇太后様

明治帝の皇后、のちの昭憲皇太后様は女子の教育に熱意を注がれ、岩倉使節団が渡航の際は特に外国の女子が如何にその国に於いてあるべきを調べるよう指示していたそうです。日本赤十字社の設立と経営にも尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」は、今でも世界各国の赤十字助成のために活用されています。昭憲皇太后のご活躍は、その後の皇后の範となったといわれています。

森繁久彌さん  

人間学を探究して四十四年より

59歳で亡くなられた息子さんに読んでくれるよう頼まれた。それが、彼の父への贈り物になったのでした。家族は掛け替えのない者。でも人間はそれを忘れない生き物。 味のある、ちょっと反骨の名優でしたね。

Elon Reeve Musk

Twitterまで買ってしまいましたね。電気自動車、宇宙旅行と子供夢見ることを次々と実現して行く世界の寵児、あなたの力で世界の子供の夢「世界中から貧困と戦争をなくしてほしい。」あなたならきっと世界も変えられるかもしれません。チャレンジお願いします。

「急がば回れ。」って、子供の頃からもっともらしく言われてきたけど、回り過ぎて、今に状態ですがこれで、良いのか?皆さんはどう思いますか。急いでいる時って、そんなに冷静に判断できる人ってどれほどいるのだろう。回ることへのリスクを回避できるのだろうか。その場で、クルクルと回り続けるのが自分だ。そして目が回って倒れてしまう。そんな自分は愚人なのか、凡人なのかもわかりません。しかし結果として、迷いきって回ってしまった。

BY Clinton Eastwood

Clinton Eastwood Jrさんの言葉だそうです。 有言実行の人であり、米国映画界の実力者であり、ジィちゃんのような高齢者には間違いなく「ヒーロー」の称号が最も似合う人なんだろうと思います。 それ故に、いつまでもアクティブに製作の世界にいてほしい。「実話」を描く、巨匠クリント・イーストウッド監督最新作にして主演作『運び屋』も良かったね。永遠の人へ。

周恩来 : Zhōu Ēnlái

 現代の中国はこの人の時代と比べると、はるかに遠い存在になったのかもしれない。『周恩来伝』を書いたジャーナリストのディック・ウィルソン氏は、周恩来をケネディやネルーと比較され、「密度の濃さが違っていた。彼は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた」と最大級の賞賛をされている。底に懐の深さの大きさを感じる。まさに大国の人である。

名将 野村克也

今も野球界に大きなインパクトを与え続けている名将 野村克也氏この人の弟子には今や注目のBIGBOSS,日ハムの新庄監督をはじめ、ヤクルト・高津臣吾監督、阪神・矢野燿大監督、、楽天・石井一久監督、西武・辻発彦監督など次の名将候補もたくさん輩出し、現役時代から、その知性を名言に変えて、ワシらにも活力を与えてくれた忘れられない人でした。僕らの子供時代、大人は僕らが失敗すると、「失敗は成功の素だよ。」と、よく励ましていただきました。

 Sir Charles Spencer Chaplin

笑いの帝王、チャーリーチャップリン。来日して天婦羅の虜になる。ソ連のフルシチョフや中国の周恩来と親交を重ね、米国を追放される。アドルフ・ヒトラーと同じ年に生まれ「独裁者」で痛烈に批判する。彼が今この世界にいて、ロシアのウクライナ侵攻に中ロの指導者たちと語れば、違う方向へと向かったかもしれない。

昭和天皇

昭和天皇に関しては、いろいろなご意見が皆様の中にもおありだとは承知しています。少なからずとも自ら望んで得た地位でもなく、自ら望んで進めた戦争ではなかったのだろうと思います。

歌姫 美空ひばりさん

昭和の歌姫「美空ひばり」この名を知らぬ日本人はほとんどいなかった時代は遥かに過ぎ去ってしまったかもしれませんが、彼女の歌声は今も生き続けて、何かの時にふと口に出てしまう。それこそが歌の力なんだろうと思います。繁栄もあったが、厳しくも辛い毎日の中で、彼女の歌声に励まされた多くの人達もいた時代でした。今でもファンと歌声は巷に響いている。

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