●Hours: 9:00 – 19:00
●Closed: Mondays (the following weekday if a national
holiday falls on a Monday) and 12/29 – 1/3
●Free Admission
◆◆◆ Access ◆◆◆
●Subway: 5-min walk from Nishi 11-chome Subway Station
on the Tozai Line, Exit #1
●Streetcar: 6-min walk from Chuo kuyakusho mae or Nishi
15 chome
●JR Bus & Chuo Bus:
●Taxi: 10-min from JR Sapporo Station
札幌市資料館
札幌控訴院は全国に設置された7か所の控訴院のひとつであり、現存するのは名古屋と札幌だけである。当初は北海道に於いては札幌より箱館が栄えていたため、函館が候補地でもあったが最終的に札幌に設置されることとなった。
美しいステンドグラスの縦長の窓を纏った存在感あふれるエンタシスの柱の後ろに、コンクリート製の螺旋階段が目に飛び込んできます。建物裏手に廻ると、この外観のボリューム感が感慨深い。大通公園にはない、しっとりとした落ち着きを感じることができるでしょう。大正15年そして昭和の始まりのシンメトリーな形状のモダニズム建築である控訴院は、この大通公園のエンドを締めるにふさわしい演出を見せてくれています。公園を訪れるならば、必ずや、その内に持つ雰囲気に触れていただければ、幸いであります。建設当時は第一次世界大戦や、世界恐慌、関東大震災の復興のさなか、大正11年に始まった建設にも多くの縮小変更が加えられ、それでも、地元のれんがや札幌軟石が使われたことは素晴らしく思います。
- 住所:北海道札幌市中央区大通西13丁目
- 電話:011-251-0731
- 最寄り駅:西11丁目駅[1]から徒歩約3分
- 営業時間:通常 9:00~19:00
- 定休日:毎週月曜/12月29日~1月3日
Originally constructed to house the Sapporo Court of Appeals in 1926
and later home to the Sapporo High Court, this soft stone structure is an
important national asset.
The terrace features a statue of the head of a blindfolded goddess with
scales supported on both sides by swords while the rear wall features
carvings of two mirrors. The goddess symbolizes law, the scales
impartiality, the swords justice and the mirrors truth. The entire sculpture
represents the fundamental principles of authority and impartiality of law.
This historical building was reborn as Shiryokan, the Former Sapporo
Court of Appeals in 1973. At first, the Court exhibited documents and
other items related to the 1972 Sapporo Winter Olympics. Currently, it
features a restored court from the building’s Court of Appeals era and
exhibition rooms introducing the history of Sapporo. It also houses an
information space for the Sapporo International Art Festival (SIAF) as well
as rooms to commemorate the painter and manga artist Hiroshi Ohba, who
hails from Sapporo.
大正11年(1922年)、建築工事がはじまりましたが、第一次世界大戦後の経済恐慌の余波と政府の財政緊縮政策により当初の予算が削減され、さらに、大正12年(1923年)の関東大震災の影響により予定していた建築資材が入手不可能となり、設計変更が余儀なくされました。この当時、木材などは遠く樺太などから取り寄せていたほど、全国的に資材確保が困難な時代でした。同じ大正期に建てられた「大阪」「名古屋」の両控訴院に取り付けられている高さ約6mの塔も、また、当時の主流であったスチーム暖房も取りやめました。基礎の深さも当初の7尺から5尺に変更しました。そうして、工事も遅れましたが、大正15年(1926年)にやっと完成しました。昭和11年の北海道の昭和天皇による陸軍大演習に伴う行幸の際はお立ち寄りになりました。