歴史のある街

北海道神宮 (Hokkaido gingu:Shinto shrine)

コロナ禍でも、サクラの時期、人は集まります。
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History of Hokkaido Jingu

Established through an imperial edict of the Meiji Emperor on September 1, 1869. Hokkaido Jingu is the enshrined home of both the pioneer and guardian deities of Hokkaido.

Michitomi Higggggashikuze, the second Commissioner of the Hokkaido Development Commission, receved the holy objects of Shinto worship from the Shinto commissioner in Tokyo and Hokkaido. The burden of carrying these obbjectsto Sapporo was placed on Hokkaido Development Commission Judge Yoshitake Shima , and in May of 1870, a temporary shrine was built at Kita5-jo Higashi 1-chome.

In May of 1871, the name “Sapporo Shrine” was settled on and in September of the same year, land for enshrinement was dedicated on the current spot in Maruyama.

Upon the enshrinement of the Meiji Emperor in 1964, the name was changed to Hokkaido Jingu Shinto Shrine, and in deed as well as in name. it is reverd as the home of Hokkaido’s principal tutelary deities. from a brochure

Office of the Hokkaido Jingu Shinto Shrine

Miyagaoka 474, Chuo-ku Sapporo, Hokkaido 〒064-8505

TEL:011-611-0261

FAX:011-611-0206

http://www.hokkkaidojingu.or.jp/

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神仏に向かう人は美しい。
例大祭、今年はある。最近見ないな~

 1869(明治2)年8月15日、明治政府は蝦夷地を北海道と改称し、翌月の9月1日には開拓使の北海道赴任に先立ち、東京で「北海道鎮座神祭」が斎行されました。明治天皇の勅旨により、開拓の守護神として大国魂神(地場の神様)・大那牟遅神(大国主命の若い時の名前)・少彦名神(海外から助けに来た神様)の三神、いずれも日本の国土を作った神様たちです。をお祀りする儀式であり、これが北海道神宮の創祀とされています。

 初代開拓主席判官・島義勇(しま よしたけ)が、名代として自ら御霊代を背負い、札幌へ向かいました。内陸には鉄道どころか、馬が通れる道さえない時代です。島判官が小樽の銭函にたどり着き、御霊代を創成川近くに仮安置した後、札幌に入った頃には、もう雪が降る季節になっていました。その時、島判官はコタンベツの丘(現在の円山)に上り、一面の原野を見渡しながら、北海道の新しい中核となる都の建設を誓う漢詩を詠んだと伝えられています。(その時は慶応3年に札幌村に御手作場を作った大友亀太郎が創成川の前身である大友堀が出来ていたので、その辺りは見えたかもしれません。)「他日五州第一の都(いつか世界一の都になる)」と締めくくられた、実に壮大な漢詩です。札幌市役所1階ロビーに札幌の街を構想した島義勇の像とこの詩を見ることが出来ます。

境内にある開拓神社です。
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この時代の北海道開拓者の
多くは廃刀令に関わらず、
帝政ロシアに対抗する防衛の為、
帯刀を認められていました。

引用:北海道観光振興機構

 北海道神宮の境内にはいくつかの末宮が置かれており、開拓神社もその一つであります。昭和13年の石黒英彦長官が北海道の開拓に貢献された方々を祭った者ですが、長官の信条もあり、多くは新政府側の人達が多く祀られています。

 最後の一人が帯広の市長の陳情により祀られたオベリべリの開拓に心血を注がれた「依田勉三」であります。帯広市史には「十勝の産業の源流を探るなら、そのほとんどが晩成社に発していることを見い出すに違いない。会社の事業としては失敗に帰したとはいえ、後進者に指標を示した役割は、極めて重要である」と記している。他にも島義勇、東久世通禧、松浦武四郎、清水谷公考、鍋島直正、伊達邦成、間宮林蔵、高田屋嘉兵衛、近藤重蔵、最上徳内など37柱です。 

  しかし、何故か大友亀太郎の名がありませんね。お雇い外国人も立派な功績を残されています。石黒長官の意思を引き継いで更に開拓に対する評価を拡げて行くとが出来るのなら、北海道有数の素晴らしい神社に発展していくのではないでしょうか。今一度、再考されるべき時期の様な気がするのは老婆心故なのか。多くの功労者を道民、市民の皆様で協議して、新たに認め合って、ここに至るご苦労に報いる開拓神社にして頂ければと思っています。

ここは第三鳥居です。金運の門と言われています。ジィちゃんは必ず通過します(^^♪
北海道神宮の主祭神は、四神
大国魂神(おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ、大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名)

少彦名神(すくなひこなのかみ)
明治天皇(めいじてんのう)となります。
令和4年元旦の早朝の神官たちの入場の模様です。遭遇する機会を得たことに感謝します。

結婚式

 日本の神話の世界に於ける伊邪那岐命と伊邪那美命(イザナミノミコトとイザナギノミコト)の二神の夫婦の道になぞった厳粛な人生の門出が結婚式です。神様のお計らいにより一つの縁が結ばれたことに感謝するとともに、お互いを尊敬しあいながらも長い人生を歩まれ、子孫繁栄を願いながら神前に誓い合います。北海道神宮は札幌でも特に人気の結婚式場として、吉日の良き日にあっては1時間おきに朝より夕刻まで神聖な儀式が執り行われており、参拝の際にめでたき縁に触れることもあるようです。一緒にご祝福頂ければ幸いでございます。

令和六年 元旦の神宮神事が行われました。ご覧ください

令和4年 本年の安寧を祈念して

 コロナや海外でのウクライナ戦争で殺伐とした世界に皆様の日常が脅かされることないように北海道の鎮台としての象徴であり、目地創建時に帝政ロシアに対し北に向けられた北海道神宮の霊験に祈念いたします。多くの神社は南向きだそうです。但し北向き門は鬼門と言われていますので、カップルでの出入りにはお気を付けください。

  明治9年と明治14年二度も北海道ご行幸を頂きました。北海道開拓と、開拓民に常に心を砕き、現代の北海道民にも皇室ファンが多くいます。1869年(明治2年)蝦夷地が、北海道と改められ、その年天皇の詔により東京で[北海道鎮座神祭]が行われ、北海道開拓の守護神として[開拓三神]が鎮祭され、太政官訓令の中に、石狩に本府を建て、祭政一致の建前から神を祀る事を命令されました。札幌神社が現在の北海道神宮に変ったのは昭和39年です。この年明治天皇を増祀し、現在は、北海道神宮には、四柱(大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇)が祀られています。北海道神宮には、境内社として[開拓神社(物故開拓功労者を祭祀)]、[札幌鉱霊神社(鉱山殉職者を慰霊する神社)]、[穂多木神社(北海道拓殖銀行の物故功労者を慰霊する神社)}があります。

第122代目明治天皇睦仁様

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